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どんな人生を送ってきたのか

Z世代。

TOKYO MXの「堀潤モーニングFLAG」のコメンテーターのみなさんの発言には、ときとしてハッとさせられ、しっかりした自分の活動フィールドを持っていて、ほんとにZ世代なの、もっと年上じゃなくて…と思ってしまいます。
その一方で、夕方のTVニュースワイドの街頭インタビューに、いいように肴にされているZ世代もいて「ああ、二極化だ」と改めて思ってみたりするわけです。
確かに、ぼくらが「新人類」といわれた頃だって、実は二極化で、一方は「ニューアカ」や「アート」な方向を行ったし、一方では「ツッパリ」の方向を行ったわけですが、「堀潤モーニングFLAG」のコメンテーターのみなさんは、私立の公共政策を実践する実践家としてしっかりと活動し、その実績を以て政府や与党ともコミットしている方もいる。つまり、僕らが学生のサークル活動だとすれば、彼らは立派な社会人な感じ。僕らが二十歳代前半だった頃に、そんなヤツがいるなんてことは聞いたことがなかったし、社会貢献といえば、一兵士としてボランティアするまで。事業を構想する力量も知識も、行動力ありませんでした。「起業」ではなく「参加」で、いっぱいいっぱいだったわけです。

彼らは駆けていくんだろうなぁ。まだ二十歳代の前半だったりミドルだったり。彼らがknowledge workerの先駆けになるんだろうなぁと思います。音楽にしたって、僕らはビジネスでの成功を目指してた。それに比較すれば社会貢献事業を目指すところも「本格」な気もします。浮かれてないなぁ。大人だ、と。

その一方で、あの頃のツッパリが持っていた頼もしさや生活力は消え、ひたすら幼い感じの一群。

これからは過ごしてきた時間が何年で、何歳になったから「大人だ」ではなく、その時間の質。どんな人生を送ってきたのかで、さらにはっきりと個人ごとに判断されるようになるのでしょう。

何歳になったから、みな等しく大人でもなく、ゆえに「大卒」だから、みな一緒という、そういうこともなくなる。実力次第。酷くもあるければ、わかりやすくもある…

でも「一億総中流」「標準世代」なんて気持ち悪かったですし。少なくとも、風通しはよくなっていくのかな。

僕は期待の方が大きいかなぁ。