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再び三度、本屋さんについて

うちのオフクロの実家には「本」が無かった。子どもの頃には高校生だった叔母の部屋にも「本」はなかった。
ビートルズのドーナツ盤はあったけれど。

実家があるご町内にも、商店街なのに「本屋」さんは無かった。薬屋さんの店先に雑誌がささったラックがひと竿あるだけだった。

オフクロの家系には、親戚の家にも「本」は無かった。「勉強」は学校の成績を上げる方便で、教科書や参考書も、短期間、暗記すべき対象に過ぎなかった。

今もオフクロの近くに「本」はない。図書館にも行かない。

さて。

僕は、特に僕が子どもだった1960年代、こういう感じが、そんなに珍しいことでは無かったんじゃないかと思っている。

月岡たまきさんの著作「あの頃、忌野清志郎と ボスと私の40年」に以下のような一説がある。

「通っていた小学校の隣に、薬と化粧品がメインで、それに少しの文房具と、壁際の半分くらいのスペースに雑誌を置いている『あつみ薬局』という店があった」

確か、月岡さんは僕と同世代の平塚の人だ。

団塊の世代が大学生だった頃、彼らの本音は「平凡パンチ」や「少年マガジン」であって、ファッション・アイテムとして、高橋和巳の「非の器」などの文庫本を小脇にしたと、いくつかの回顧的な記述にある。僕らの世代でいえば「非の器」が、浅田彰氏の「逃走論」みたいなものだったんだろう。
団塊の世代の大学進学率は20%あるかないか。それでも「大学の大衆化」といわれたんだけれど、5人に1人なんだから、当時の大学生は立派な知的エリートだったんだろう。でも「平凡パンチ」や「少年マガジン」が本音であって、「単位」の必要性がなければ、そんなに本を読む習慣は無かったのでは、と思う。社会人になってからの彼らとの付き合いを踏まえても、そんな気がする。

(うちの叔母は高卒だったし、いかにも学業はおざなりで、知的エリートとは無縁だったから、「若大将シリーズ」、加山雄三氏に熱心だった。よく映画に付き合わされた)

こんな感じだから、僕は、あらかじめ、習慣的に「本」を読む人は少数派だったのでは、と思っている。
だから近頃のことも、劇的に「本屋」さんの数が減少しているというより、高度成長期以来の「本バブル」が崩壊して、「本屋」さんの数が適正に戻っていっている現象なのではないかと思っている。

だから、本屋さんは無くならない。紙の本が無くならないと同様に。

そう思っている。

本を読む人は本を読む、生活の一部に本がある。
本を読まない人は、よほどの外的要因に押されなければ本を読まない。

そういう感じで自然なんだろう。

そんな「自然」を冷静に観察し、オーガニックに、お客さんを待てる本屋さんは、必ず生き残る。
紀伊國屋さんを超小型にしたような駅近書店は、Amazonに負けてしまうけれど、場所性に富んだ本屋さんは通販に負けない。「場所性」は通販できないし、そこに行かなければ得られないものだから。

たぶん、個人店な喫茶店、カフェにも同様のことがいえるだろう。



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