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ドラマ「あこがれ共同隊」

郷ひろみさんや西城秀樹さんが出演された「あこがれ共同隊」は1975(昭和50)年に放送されたTVドラマ(TBS系)。「共同隊」っていうネーミングが時代を感じさせる。

wikipediaには「東京原宿・表参道を舞台に、現代(当時)の若者たちの青春の生きざまを描く」ドラマだとある。視聴率はふるわなかったけれど、小泉今日子さんが、雑誌「SWITCH」のインタビューで「子供のころ、この番組を見て原宿に憧れた」と話しておられる、そんなドラマ。

このドラマには、かぐや姫のメンバーや、イルカ、りりィ、吉田拓郎さんなど、当時人気のフォークシンガーが多数、そのままの役どころで出演していた。拓郎さんが歌に唱った「ペニーレイン」というお店も登場するが、つまり、当時の「フォークソングな感じ」が、このドラマの、ひとつの味付けになっている。

フォークと原宿か…

僕が思い出す、80年代の原宿や表参道、青山、あるいは代官山といった街と「フォークソング」は、すでに、そんなに相性が良くなかった。「文化雑貨屋」とか「大中」などに、PARCOなイメージが強く重なり、フォークソングに色濃かった「上京者」なイメージは薄くなっていた。YMOは、みんな東京生まれ、東京育ちだ。

1975年といえば、中村雅俊さんたちの「俺たちの旅」が放映されていた年でもある。その舞台となった吉祥寺、それから下北、80年代に入ると、こっちがフォークやブルース、「上京」な感じだった。でも、「俺たちの旅」の中村さんのような「ジーパンに下駄ばき」みたいなファッションは皆無だったと記憶する。

そう。

一斉を風靡したような感じが、たった数年でどこかに行ってしまう。

当時は「若者文化」などといわれていたが、本格的な「文化」っていうんじゃなくて。消費を誘導するプロパガンダだったんじゃないかって思う。それならば短期間で移り変わっていくのにも頷ける。だって、次を売らなければ企業は大きくなれないから。

今や、似合っても似合わなくても若者みんなが長髪、ミニスカートという感じは過去のもの。そうした状況をテレビ番組の視聴率、楽曲の売り上げが象徴している。朝の連続テレビ小説(NHK)「おしん」(1983/昭和58年)の視聴率は62.9%。1973(昭和48)年の「紅白歌合戦」の視聴率は80.6%。1975年のヒット曲「およげ!たいやきくん」のシングル盤(当時)の売り上げは500万枚以上。そんな時代は、はっきりと終わっている。半世紀近くも前のことだ。

当時は絵に描いたような「一億総中流」の時代だったんだ。
多くの人が企業が提案する「流行」に従った。

今は、個性を大切にする人も、そうでない人もいて、それぞれがそれぞれ。かつての渋谷や原宿、新宿のように、特定の街だけが若者を集めるということもなくなっている。アキバも池袋も若者の街だし、若者だけの街でもない。そもそも若者文化が時代を象徴するような、そんな感じが過去のものだ。

まわるまわるよ 時代はまわる。
志向は、企業規模での戦略が組みにくくなるほどに細分化した。

駅前スナックの昼カラ・コミュニティに集う人たちもいるだろうし、独立系書店のイベントの常連になる人たちもいるだろう。もちろん「集わない」人たちだっている。

「一億総中流」という呪文が解けてきたのかもしれない。もともと「私」以外「私じゃない」のがリアルなところだ。

文化的には、やっと僕らも「自立」へと歩み始めたのかもしれない。
少なくとも「あこがれ」を共同でかなえる風潮はなくなったかな。
「俺たちの旅」じゃなくて「俺の旅」でいいし。

ちょっと遅すぎたかもしれないけれどね。

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