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みんなに参加する

僕らは「みんな」に参加することを推奨されてきた。

学校は「学問をするところ」というより政府がデザインした「みんな」の中で生きていくための作法を教えるところ。勉強だって、命令を理解して実行できなきゃ「みんな」の中で就業できんだろという意味での「読み/書き/算盤」を身につけることだった。

学校では創造性より複写する技術を熟達させら、その上で、企業はマスメディアを通じて大量に情報を発信する…で、僕らはさらに「みんな」化する。

その「みんあ」に情報を撒き、買い物をさせる。世代によって多少のバラツキはありけれど、ファッションなどの流行のサイクル。年ごとに新型が発売されるクルマや電化製品など、僕らは「みんな」で、与えられた選択肢から似たような買い物をしていく。そのために働く。そう躾けられている。

大学をなぜ4年で卒業しなければならないのか。高校をなぜ3年で終えなければならないのか。50歳で大学に行くことがなぜ珍しいのか。

でも、リスキリングと、あるスジから号令がかかって、50歳から再び何らかの学校に通う。そういうことに急に違和感がなくなる。違和感を消しても必死に追いついていこうとする。

卒業が見えて来ればなぜ就活なのか。就活といえばなぜ「会社に入社」が前提なのか。

これも「起業」が選択肢に入れば、また変わってくるのだろう。

合理的な理由がない場合は「考えないようにする」というのが「みんな」の中で生きていくお作法だから。

でも、今「みんな」に参加していても、それで食っていけるのかどうか。終身雇用ならガマンのしがいもありますが、下手をすると「みんな」に参加したとたんに…ということがありえる時代。

この「MATRIX」から出るのは「自力」でしかない。
政府も「みんな」も、そんな親切じゃないから。他人事は他人事。

ただね。

「みんな」に参加する入るためのノウハウはたくさん提供されているけれど「出る」ための教科書はない。ネット検索をかけても怪しいものばかり。そして「いつか、誰かがなんとかしてくれるだろう」は悪魔のささややき。今が昭和33年なら、スーダラっと無責任サラリーマンを決め込んでいればいいんだけど、残念ながら、今は、ネットがあってAIが迫り来る令和五年、2023年。

どうしようね。