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粛々と未来へ

規則で縛り、統制する。

高橋源一郎さんはご子息の入学式に「あれは入学式ではなく入隊式」との感想を述べられた。でも、これは一糸乱れぬ集団生産が生産効率を上げた時代には有効だったかもしれない方便だ。

「みんなで」も効かなければ、「分担」もできない。そういう仕事こそが収益を上げる。とっくに、そんな時代になってるんだけど、まだまだ「これまでどおりでいける」という幻想の中にいるのが、わが国。

円安が単純に為替の問題ではない所以だ。

ご承知のように、アップルは工場を持たない。アイディアを生産することが収益事業の中心だ。「原器」をつくって、それを、より早く、より美しく、より大量にコピーすることで収益を上げる「工業」は過去のもの。大規模な工場、大量の人員を用意できる実力より、カード・ゲームでさくっと稼いでしまう方がクレバーだし、評価も高い。

そういう時代になった。実際、3000人の工員さんを3台のロボットに置き換えてしまった企業もある。

苦労して集団を統制して、コピーを量産することで収益を上げている事業より、知価(情報)を生産することで収益を上げていくビジネスモデルの方が評価される時代。社員旅行やラジオ体操で職場のチーム・ワークを維持しなければならない時代も、向き不向きではなく、年功序説で管理職が任命される時代もすでに過去のもの。

でも、この国にはゾンビが多すぎる。

未だに、職場が「わが家」で、アイディアを産み出すことができる「個性」が潰される状況はアジャストされてはいない。だから「生産性」は上がらない。生産性が上がらないのだから、就業時間も短くはならない。だらだらと「これまで」どおり。そして、企業の収益を確保するために、駅のホームからも、電車の運転席からも、コーヒースタンドからも、スーパーのレジからも人がいなくなるのがご時世。

なんだか、嫌な予感がするだけ。

トランプさんを選び、プーチンさんを支え、今も自民党を支持する人には、まだそのあたりが見えていないのかもしれないが、時計の針を昭和35(1960)年まで時間を元に戻すことだけはできない。これだけは事実。

僕らは粛々と未来に向かっている。