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「本」のこれから

「本(書籍)」も戦後になって一気に大衆化したのでしょう。いっときはベラボーな数が売れた。ただ、そのとき、お試しに「本」を読んではみたけどやっぱり「自分の生活に本は必要ない」と思った人も多かったんだと思う。もちろん「お試し」から「本」に本格参入という方も少なくはなかったんだろうけれど、やっぱりマイノリティだった…それが、この国のリアルだったんだと思う。

戦後最大のベストセラーは、黒柳徹子さんの、あの「窓ぎわのトットちゃん」だったといわれている。累計発行部数800万部。一時期話題になって、映画にもなった又吉さんの「火花」が累計239万部、電子書籍版は10万ダウンロードだったというから、文字どおりベラボーな数だということができる。
「窓ぎわのトットちゃん」は1981(昭和56)年の出版。このあたりが「お試し」のマックスだったんだろうと思う。もちろん、高度経済成長を背景に進学率もあがり、本を読むゆとりを持つ人も増えたんだろうが、そのことと「本」が必要とされるかどうかはまた別のはなし。読む人は読むが、読まない人は全く読まない。団塊の世代あたりの大学生にとって新書はある種のファッションだったというし、僕らが大学生の頃には哲学者=ミシェル・フーコーが大流行りだったが、その後、研究者が増えたという話しも聞いていないし、研究が進んだという話しも聞いていない。

1980年代末のバブルの頃、必要だとされたビルの建築計画がホントは「まやかし」だったから、街なかにはこんなにもコイン駐車場が溢れているのだろう。「本」の発行部数も本屋さんの数も規模も、きっとこれと同じこと。もちろん出版社もそうだろう。

(高度成長期以降、確かに市井の人々も活字には飢えたが、購入したのは百科事典や、美術、文学の全集もので、結局は、それも棚ざらしになったとか。何だか家具調のステレオもそう。お部屋の飾りになっていた)

それでも適正な数は残る。そして適正な数になってみたら、本も、本屋さんも出版社も激減という状況になった。そして、一億総中流の時代が終わり、みんなで「聖子ちゃんカット」が遠い過去の話になる頃には、考えられないほど狭い範囲の本しか並べない本屋さんが珍しくなくなくなったり、小さな小さな出版社がたくさんあって…という時代になるのかも。

それはそれで楽しみでもあるけれど。