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まちは多様性

もう「みんな」に疲れ切っちゃったというのもある。
「教室」に居場所が見出せなかったから「まち」を目指したんで
もともと「無理」をしていたというのもある。

ジェイン・ジェイコブズさんを知ってから、より「まち」の多様性を重視するようになったからともいえる。

ジェイン・ジェイコブズさん ↓


40年ほど「まちづくり」に関わってはきたが、今は、賛同を得るにしろ、たったひとりの発意やイメージが、面的な街区や「まち」を染め上げていいのだろうかと疑問に思ってる。

(だから、まちづくり志向の人を集めてワークショップ、スクール形式の座学の開催にも、今は懐疑的だ。実際、僕はそういうものに参加したことはない)

今の僕は「発意」なり「提案」なりは「たった一軒の店舗」程度の規模にとどめるべきだと思っている。

そういえば

まだ20歳代の頃…

横浜中華街の台湾系華僑の長老に

「みんなで話し合って同じことやろうとしちゃダメ。つまらなくなるし、必ず賛成派、反対派に割れるから。それより楽しそうなことは、自分一人で勝手に始めちゃえばいいの。ウケればね。みんな真似する。それでいい」

雑談の中で、そんなことを言われたことがある。

ちょっと度を越しちゃって、今は下火だけど、店前の路上で天津甘栗をやり始めたのは、この古老の店だった。確かに大通りの雰囲気は変わったな。

(良くも悪くもだったけど、それは古老のせいじゃないからね)

「まちづくり」を志す。

「まず合議」でもないし「まず集まって実行委員会なりを立ち上げる」でもないんだよね。実際、奥さんと二人でやったイベントの方が、半世紀ほども長保ちしたしね。

(そういえば、奥さんと二人でやったイベント、同じ名前のものだけで、一時期、僕らが知ってるだけで全国に10ケ所くらいあったんだ)

インタビュー、ヒアリングなんて、構えちゃうんじゃなくて、もっと日常的に、丹念に人の話しを拾ってね。ノウハウ書ではない「本」を読んでね、自分なりに、自分の「公」に照らして、事業を企画して、自分で実験する。

そういうことを、さらに、先鋭的に、洗練させていこうと思っている。

大切なのは、事例やノウハウを知っている、その「量」や「理解度」ではないんだ。

自分の中に、どんな「公」意識を持っているのか。自分がイメージするって「まち」ってどんな「まち」なのか、丹念に考えることだし、あとは、まめに日常を観察することだろうな。

少なくとも「先行事例」という型に嵌めるように考えちゃダメだ。
案外「私」以外「私」じゃないように「まち」もそれぞれだからね。

で。「共鳴」「共振」は歓迎しながらも、大きくしないこと。

もう、全国津々浦々、見渡す限りの「金太郎飴」みたいな「まち」はたくさんでしょ。

等身大に、多様な人にとって居心地いい「まち」じゃないと。

僕は、そう思うんだ。