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新しい物語を

地図を見ると確かに蕨市という形はある。でも30分も歩き続けると、簡単に隣りの川口市や戸田市を歩いていたりする。町と町の境界線がはっきりしない。延々と似たような住宅街が続き、思い出したようにコンビニが存在して、電柱と電線と信号機が、エンドレスにどこまでも続く。町に中心というものがない。多くの地方都市がそうであるように、僕が生まれ育ったところも駅を中心に町があった。駅前にそれほど賑やかとはいえないが個人営業の店が連なる商店街があり、それを過ぎると住宅地になり、さらに歩くと、すぐに田んぼがあちこちに現れ始め、家々が占める広さと田んぼの広さが逆転する。そして、ひとつの地区と地区の間は田んぼや、川や林で境目ができてる。それが、ここへ来て、なくなってしまったのだ。
小林紀晴 著「東京装置」より

コンビニやフランチャイジーに埋め尽くされる商店街。まるでプラスチック製の鉄道模型をそのまま大きくしたような住宅街。いつしか街は量産品に埋め尽くされようとしている。

そして、ヨコハマ…

横浜市の場合、同じく大規模な政令指定都市である大阪、名古屋の両市を比べてみても、独自の様相を呈している。人口こそ日本で最も多いが、政令指定都市でありながら東京圏に内包されており、市民の意識は東京都心部に向かいがちだ。横浜市の中心市街地が、本当の意味での「都市としての中心」にはなっていない。
河合雅司 著「未来の地図帳 人口減少日本で各地に起こること」より

幕府とその御用商人の思惑によって開港地となったヨコハマ。彼らが貿易を独占するために、それまでの長い間、それなりの港町としてきて栄えていた神奈川湊や本牧湊を無視、それで新開地となったのが現在の横浜港であり、ヨコハマ都心。もとより地元の主体性が産んだ街ではない。

その後、数々の文学作品や映画、TVドラマなどが描いてきた虚構がヨコハマというリアルを覆い隠し、イメージとしての港町が一人歩きをして、さらにそのイメージも東京製。この街は「よそ者」が勝手に描いた描いた嘘で塗り固められてきた。ドラマ「あぶない刑事」「逃げ恥」の背景ですが、そのイメージも「東京製」。

(現在の自治体横浜市にある18行政区のうち海岸線を接するのは6区のみ。これが意外に思えるなら、ヨコハマはフィクション先行の街だということだ)

最初から嘘で塗り固めたような街なのだから、新しい物語を紡ぎ続けるしかない。この街の原動力は魅力的なフィクション。でも、もうそろそろ東京任せではない、この街から風を吹かせてみたいとは思う。港湾労務者相手に小商いで身を立てたひいばちゃんを祖とするわが家も、この街に四代になりった。そろそろ自立してもいい頃だと思う。

新しい物語を自分で描き始めよう。
この街が「二番煎じ」で埋め尽くされる前に。