戦争と僕ら
1945年5月28日
アメリカ合衆国で開催された第3回目標選定委員会で、ヨコハマは原爆投下目標から外された。
すると早くも翌5月29日が横浜大空襲だった。初めての昼間爆撃だった。だから、B29爆撃機517機による爆撃だけでなく、P51戦闘機101機による機銃掃射も行われた。
死者だけで8千人〜1万人。横浜の都心は壊滅した。
ニュース報道で繰り返されるガザからの映像のように。
アラモゴード実験場で核実験が成功したのは1945年7月16日のこと。そして同年の7月25日。原爆投下命令書(投下目標候補:広島/小倉/新潟/長崎)が発令された。
(冒頭、記したように5月28日までは横浜も投下目標候補の一つだった)
当時のわが国はもとより、すでに民主主義の国だったとされるアメリカ合衆国でさえ、この間のことは全く国民には知らされていない。
つまりね。衆議に拠る多数決を原則にするとはいっても実態はこんなものなの。でも、原爆うぃ投下した国の国民は、知らず知らずのうちに加害者のような立場に置かれてしまう。
身に覚えがないのに。
今だって、何がどういうふうに進められているんだか…
上の方から見れば僕らは蟻ん子のようなものなのか。
被爆直後の広島では、米軍によって、明らかに「治療」ではなく、人体への効果測定のような調査が行われていたという。そして、この調査に当たっていた「徴兵による米軍兵士」は、二次被爆の危険性について、ほとんど何も知らされていなかった、と。
僕らは何を信じて生活を組み立てていこう。
否
何かを信じてついていくんじゃなくて、
確たるところは「自分で判断する」なんだろうな、やっぱり。
…違うかな。
(一時は横浜に、原子爆弾が投下されようとしていたのは事実。本当に原子爆弾が投下されていたら都心部に暮らしていたオフクロの家は全滅。僕も、あらかじめこの世にはいなかったのだろうと思う。案外、紙一重なんだ)
少なくとも乗せられて「鬼畜米英」などと叫ぶようになってはいけない。