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神戸/ヨコハマ

今にして思えば、すでにあの頃からヨコハマは港町に乏しくて
1970年代末から80年代のはじめ
僕はしばしば「神戸」を訪れていた。

神戸には街かどの「発信源」が豊富だった。
古本屋さん、レコード(当時)ショップや雑貨屋さん…など
ライブハウスや、今っぽく言えば「クラブ」。
それぞれに個性的な店主がいて、彼らに会うのがご馳走だった。
ヨコハマにも、そういう店が無くはなかったが
神戸は、見事なまでに選択肢が豊富だった。
Barや喫茶店もそうだったし、街かどの食堂や、いまでいう「まち中華」のレベルが高かった。

だから街を歩いているのが楽しかった。ウキウキした。
出会いもあった。

今ならZINEやフリーペーパーにあたるのか、当時「ミニコミ」といわれていた冊子も様々に面白かった。ショップやBarなどが出版しているものや同人誌みたいなものも。「月刊神戸っこ-KOBECO」みたいなタウン誌も力強くて、神戸は、マスコミとは異なる「神戸のメディア」を持っていた。

ヨコハマにも「横浜浮浪者襲撃殺人事件」を追うようなタウン誌と、行政や地元経済界御用達なタウン誌があったけれど、どちらにしろ少数の読者を持つだけで、ヨコハマ独自のメディアというほどの支持を集めることはできておらず、ミニコミやフリーペーパーはできても短命だった。

神戸では淀川長治さんや筒井康隆さんが神戸メディアに連載を持っていた。そして、彼らと肩を並べて神戸だけを舞台にするような書き手がいて、さらに彼らが大阪や京都を経由して、肩の力を抜いたまま、神戸に居続けながら全国区になっていった。

羨ましかったなぁ。
今も羨ましい。

たぶん書き手はヨコハマにもいるんだろう。でも、ヨコハマには「書かせる人」がいない。そういう「書かせる人」のスポンサーになる人も乏しいし、読者として彼らを支持する人も少ない。

横浜市民の多くは東京で製作されたテレビドラマや映画の「背景になった空間としてのヨコハマ」を体感できれば、それで満足なんだろう。質的な「ヨコハマ文化」がどうあるかなんてことには関心がない。だから、横浜中華街にしても、それらしい空間があって、毎日のようにそれらしいイベントが行われていれば、それで満足。つまり「ヨコハマ」っていうディズニーランドなら、それでいいんだ。

ずいぶん寂しくはなったけれど、今も神戸にはドラマや映画が創った「港町イメージ」ではない、リアルな港町の風情がある。
多様な人々がいて、それぞれに自由を大切にしていて、それぞれを大切にする。新参者にもやさしい。

つまり大人の街だ。

まちかどのケーキ屋さんの、ウィークディの午後。
普段着のお客さんが、店内のイートインで、ドトールやスタバのそれとは一線を画すケーキを食べながら、おしゃべりである。

あゝ豊かだなと思う。

震災は豊かな街並みを「箱の街」に変えてしまった。でも、神戸の人々に根付いた文化を根こそぎ奪っていったわけではない。

ケーキ屋さんには、ブランドではない、こんなやさしい絵画が架けられている。

近年、ヨコハマはさらに「箱の街」になり、今は、あちこちに「あぶ刑事」の最新作の展示スペースが目立つ。ヨコハマは悲しいほど、さらにわかりやすい街になっていっている。

2020年だったか、あの松本隆さんが「もう東京はいいかな」って、神戸に移り住んだと、「月刊神戸っこ-KOBECO」のweb版で読んだ。

松本さんのドラムセットが置いてある店もあるんだと聞く。

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