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ヨコハマというフィクション

映画「冬の華」は1978年の東映作品。高倉健さんと池上季実子さんの主演。監督は昨年の5月、惜しまれつつお亡くなりになった降旗康雄監督、脚本は倉本聰さん。

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我が身を投げ打ってスジを通す男ぶりのいいヤクザと彼を慕う人々の切なさを描いた作品。 舞台はヨコハマ。高倉さんは任侠の人。池上季実子さんは渡世の義理で仕方なく高倉さんが演じる男が殺した仇の娘さん。高倉さんは舎弟を通じて「ブラジルにいるおじさん」として、獄中からずっと彼女を支援し続ける。

池上さんは山手の丘にあるとあるミッション系の名門女子校の寄宿舎に暮らす。クラシック音楽に造詣が深くて近くの名曲喫茶に通っている(「名曲喫茶」っていうのはクラシック音楽のレコードを聞かせることに特化した喫茶店。JAZZ喫茶のクラシック音楽版)。

出所してきた高倉さんは名乗り出ることなく、この名曲喫茶で池上さんを見守る。自分はヤクザだし、本当は彼女の親の敵…名乗り出ることができない。でも池上さんは会ったことのない「ブラジルにいるおじさん(高倉健さんのこと)」に恋心に近い慕情を抱いていて、彼に会いたがっている…そこにまた許しがたい卑怯者が登場し…そういう映画。

背景にはイセザキ町や福富町、本牧や新山下と思われる場所など、まだランドマークタワーがなかった頃のヨコハマ名所がたくさん登場する。でも、名曲喫茶だけは「外観は京都、内装はセット」。ヨコハマにああいう場所はなかった。

70年代までのヨコハマは港町としての風情はあるものの、その実、都会的な喧噪からはほど遠い街で(僕も東京の下町からヨコハマにやってきたのは結核の転地療養が理由だった)、東京から距離的に近い割りには大規模な映画・TVドラマの撮影が行いやすく、幾度となくヒット作品の背景として利用されてきた。

映画やTVドラマはあくまでもフィクション。リアルなヨコハマ都心には「冬の華」の「名曲喫茶」みたいなものはなかった。でも、観客のイメージとしては、池上さんが通うお嬢様学校と名曲喫茶は、ヨコハマにあっても不思議はないアイテムに刷り込まれる。しかも、現実のヨコハマに暮らしているはずの僕らまで、そんなイメージに汚染されて行く…

高校生の頃、僕の家の前でハデな撃ち合いがあった。もちろん、あるドラマの撮影。でも、テレビを見れば、ご近所が映っており、ここでは毎週のように凶悪事件が起こっているようなところ。これが「つくられたイメージ」として客観視されているだけならいいのだけれど、こんなことが何度も何度も繰り返されているうちに、この街に暮らしている僕らをして、やがてはそうしたことが真実のように思えてくる… この街はエキゾチックで無頼な男たちがいて、ちょっと怪しい面白い街だ…なんてね。

つくり込まれたイメージがヨコハマという街の観光振興などに活かされるなら、それはそれで仕方がないのかのもしれない。でも、出来のいいフィクションは、この街に暮らす人間や、この街の街づくりを主導する人間たちでさえ、あっさりと「騙して」しまう。

いつだったか、大友良英さんが、あるおじさんから「あまちゃん」の劇中歌「潮騒のメモリー」について「昔、流行ってましたよね」といわれ、あれは番組用にオレがつくったんだといっても、最後まで信じてもらえなかったとおしゃっていました。僕も「あの名曲喫茶はどこにあるんだ」と、ヨコハマに三代は暮らしているだろう人から尋ねられたことがある(それも、一度や二度ではありません)。

この街には高倉健も暮らしていなければ、松田優作も舘ひろしも柴田恭平もいない。でも、どこかに彼らのような人が暮らしているような。

大きな勘違いだが、恐ろしいことに何度も何度も映画・TVドラマの背景として「見慣れた風景」を見ているうちに、イメージは増殖し現実は霞んでいく。恐ろしいことだけど。

「冬の華」1978年 監督 降旗康雄 脚本 倉本聰         
出演 高倉健/池上季実子/田中邦衛/三浦陽一/小林稔侍 他


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