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24時間 戦えますか

脳出血で倒れたのは2010年の3月のこと。
病院は早めに退院して、リハビリは自分で進めた。

意識が戻って、奥さんにコンデジを持ってきてもらって、病院内をあちこち撮り始めた。
この頃は、まだ顔は歪んでいる。右手側だけ、垂れちゃった感じ。

以下は2013年6月に、当時運営していたブログに書いた記事。
いっとき「言葉」を失ったので、「言葉のリハビリ」のために続けていた。

まだ読んでいない「本」です。

犬塚芳美さんの著作「破損した脳、感じる心 高次脳機能障害のリハビリ学」(亜紀書房)の帯に

『夫はジキルとハイド、計算はできないけれど、俳句をつくる。
 左も右も言えないけれど、映画を論じる』

とあります。

ご主人は、酔っぱらって昏倒し後頭部を強打しての脳出血から片麻痺になり
高次脳機能障害という障害をお持ちになったようです。
まだ読んでいない本のことで恐縮なんですが
帯にあった「計算はできないけれど、俳句をつくる」「左も右も言えないけれど、映画を論じる」のアンバランスさというか、唐突さというか…
そういうところに、まさに「思い当たる節」があります。

とにかく「あれができて、なぜこれができないのか」ということが
たくさんあるのです。
僕の場合、入院中に高次脳機能障害の判定を受けている間に
日毎に多くのことがもとにもどっていったのですが
それでも、これだけがなぜできないということはありました。

例えば
たった1日でしたが
モバイルのコンピュータのスイッチを入れるのに1日かかったことがありました。急に「右」と「左」がわからなくなったこともありました。
たぶん、あれが高次脳機能障害だったんでしょうね。

今も、何かができないことがあって、やってないからわからないだけかも知れません。
普段、使わない道具を、いざ使おうと思ったら、まったく操作が判らないなんてこととか。あの頃はそういうことがよくありました。

でも、ダメージとして大きいのは
そうなったときに「できないこと」そのものよりも
「できないこと」に愕然としてしまうこと。劣等感というか。
気にしないようにと心構えはしていますけど。

とにかく、僕の場合は、僕と上手くつきあっていくことだと思っています。

一方、健常のみなさんには
理屈で割り切れない「できない」があり得ることへのご理解をお願いします。怠けているわけでもなく、とぼけているわけでもなく
くだらないことができない場合があります。

そのあたりを理解してあげてください。

(必ずしも「いたわってあげてください」という意味ではありません)

この後、契約書の数字を一桁まちがえた。しかも相手に指摘されるまで気が付かない。もちろん何度も見直しているのに。
僕は自営業。根幹に関わること。あり得ない…というか。

書き飛ばして、読み直さずに投稿しているわけでもないのに、今もSNSの誤字、誤変換はなくならず、倒れる前は、そういうことがないことがプライドみたいなところがあったから、いつも軽く傷ついている。

でも、倒れる前は、気を張って気合を入れて、人工的に誤字、誤変換を無くしていただけで、生地の自分は、やっぱり苦手だったのかなと思う。「数字」についてもそう。

なんか「感覚的」に身に覚えがあるんだ。倒れる前からの。

確かに倒れてから「気合い」は入らなくなった。そんなこと、どうでもよくなっちゃったんだ。

何にしろ「これで地球が止まるわけじゃなし」と、泰然としちゃった。

お医者さんには「ストレスを減らせ」とは言われていたけど、そう仕向けたんじゃなくて、自然にそうなった感じ。

若い人はご存知ないと思うけど、バブル経済絶頂の1988年。「リゲイン」というドリンク剤の惹句に「24時間、戦えますか」っていうのがあって、あの頃は、24時間、仕事してるサラリーマンがカッコよかったわけだけれど倒れて、ようやく「24時間、戦えますか」男を卒業できた感じかな。

右麻痺なり高次機能障害は孫悟空の「緊箍児(きんこじ)」だったのかな。今は、そんなふうに思っている。

倒れたのも必定だし、倒れなければ、その後も24時間戦っていて、家庭はないし、なにより、本当に死んでたんだろうなと思っている。


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