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消えゆく商店街

商店街。

案外「長い歴史が」というところの方が稀で、復員してきた兵隊さん向けの就業対策で、当時の行政がメイキングしたところも少なくない。だから、長い修行期間があって店舗を構えたというのではなく、〇〇屋さんの選択も、創業メンバーのくじ引きに拠ったというところもあるくらい。

つまり、そんなに「玄人」なキャリアがあるわけではない。もちろん、一生懸命やる人とそうでない人の差はあったろうけれど、うならせるような仕事をする基盤はない。

(新聞屋さんがやりたかったが抽選で外れて牛乳屋さんになったという人に会ったことがある)

そういう商店街が、今は血縁相続で二代目。

どこかの会社に就職するよりは、うちを手伝った方が楽だろうという「動機」の人も少なくなく、商店街がピンチになっても面倒臭いことは避ける…そのうちなんとかなるんじゃない、ならなくても、そのとき考える。とりあえず不動産あるし…

という具合。

「商店街」という佇まいと賃料の安さに、若い起業家が入ってきてくれたりすることもあるんだけれど、商店街の多数派はひややかに見ているだけ。小学生の頃からの知り合いで、商店街が「村」化しているところも多く、若い起業家は浮きまくって、孤軍奮闘。ほどなく去っていくパターンも多い。

こんな商店街に「策」は効かない。

1〜3年で人事異動が繰り返される、お役所やお役所の外郭団体も無理だ。

(たいていの担当者は商店街で買い物をしたことがない)

彼らが派遣してくるコンサルタントも無力。だいたいイベントやっておわり。で、上手くいってイベントの日の人出は稼ぐことはできても、普段の日の商店街は元の木阿弥、普段どおりの寂しい商店街。だって、そのあたりになると、各店舗の毎日の努力だから、しょうがない。

そしてコンサルタントが通ってくるのも長くて数年…と。

隆盛の商店街には、商店街の関係を上手にまとめあげ、役所やらの公的機関とも良好な関係を築きながら、自身はいわゆる「アイディア・マン」であるという、そんな「個人」が存在している場合がひとつ。

これは人工的には生み出すことができず、その商店街が持っている「運布天賦」に拠るとしか言いようがない。そ
れも「イベント=バンバン」、「施設をつくる(横浜中華街なら媽祖廟みたいな)」な、ビジネスっぽい濃いめのリーダーが多くて、落ち着いていてサスティナブルな隆盛をメイキングできる人は、全国をあたっても両手で数えられる範囲な気がする。

あとは

商店街周辺の地域の住民の消費力が高く(一昔前のたとえ方なら「中流上位層」な感じかな)、商材への意識も興味も高い。田園調布みたいな街や、大都市周辺の郊外型住宅地の商店街に立地しているケースが多いけれど、今も個人店が主成分で、付加価値的な商材を扱う店も少なくない…という

ここの商店とお客さんの関係が築く商店街かな。そういうのもある。

でも、今思い出せる範囲だけど、僕には、こういう事例=全国で10〜20例ぐらいしか思い浮かばない。

チェーン店なお店ばかりになり、個人店が消え、やがてチェーン店も撤退していく。で。絵に描いたようなシャッター通り商店街に。利益率の高い豆腐屋さん、おばあちゃんファッションのお店、ときどき餅菓子屋さん、お蕎麦屋さんくらいしか残らないというところが大半だ。

80%以上…かな。

でも、アメリカの金利=5%に対して、日銀はまだ実質0%。当分「円安」は続く。だから物価高、でも、給料は20年前と比較して手取りで年間80万円以上目減り、税金は上がる。なのに役所は財政難でサービスは低下。育児や介護はセルフ・サービスの割合も高い。

(そうでなければ「ヤング・ケアラー」なんて言葉が、一般的になるわけがない)

残念ながら、もう「トリアージ」が必要な段階だ。

だからこそ、脈のある「商店街」をどう護るかだ、ということでもある。

僕らも「便利」に流されるのではなく、質的な買い物をしよう。
一時的な「消費」に走るのではなく、サスティナブルな効果を考えて買い物をしよう。

考えてみたら、商店街についても「丸投げ」で、自分の都合で「利用」する(あるいは「利用しない)だけだったから、こんな結果になっちゃったかもしれないな。

所詮、他人事でもシャッター通り商店街の目撃者になるのは気持ちのいいもんじゃない。AIに仕事を奪われつつある自分を見るようでもあるし。