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母との思い出。やさしい記憶と申し訳なさと。

ありきたりな書き出しですが、今日は母の日ですね。
私の母は今も働きに出ていますので、妻と仕事用の服を一式選んで送りました。
GWにプレゼントしに実家に行ってきたのですが、帰宅してすぐに渡した服を着た写真を送ってきてくれたので喜んでくれたようです。

母との思い出を振り返ってみると、印象に残っていることが2つあります。
今回は私と母との思い出を記事にしてみたいと思います。

寂しい思いをしないように気にかけてくれた

私の両親は共働きです。父は土日にも出勤することが多い仕事だったので、休みの日には私と兄と、母だけとなることがよくありました。
同じ敷地内に祖父母の家があったので、幼少期は祖父母にもよく遊んでもらいました。

休日に父がいないことで寂しい思いをしないようにと、母は私たち兄弟と色々なことをしてくれました。
特に覚えているのは一緒にチーズケーキを作ってくれたことです。
下地にクッキーを砕いたものを敷くので兄と一緒にジップロックに入れたクッキーを棒で叩いた覚えがあります。手作りチーズケーキは思い出の味ですね。

またたくさん遊びにも連れて行ってくれたように思います。
奈良の大仏を見に行ったことはなぜかよく覚えています。大仏の鼻の穴という柱に空いた穴をくぐるところを母に見てもらった記憶があります。
また映画も一緒に見に行ってくれました。私はハリーポッターが好きだったので公開するとすぐに連れて行ってくれました。パンフレットにあった通販グッズを買ってもらったのも今でも大切に持っています。4つの寮のピンバッジだったかな?

大人になって膨らむ申し訳なさ

申し訳ないという思いが今でも付きまとっている思い出もあります。
今でも、というよりも「今だからこそ」申し訳ないと思っているのかもしれません。

私が年長さんだった頃、小学校入学を来年に控えた秋でした。
私と兄が母に呼ばれ、いつになく真剣な表情で話をされました。家のどこで話をされたのか、どれくらいの時間帯で、どの程度日が傾いていたのかも覚えています。
母は職場で海外研修の話をもらってきたようでした。
期間は半年だったか1年だったか覚えていませんが、長期間の研修だったと思います。
私たちに話をする前に、父とも話をしていたのでしょう。

子どもたちに聞いて、いいなら行っておいで。


そういった会話をしていたのかもしれません。母の海外研修にとって最大の関門が私たち兄弟でした。
もちろん私たちは大反対。特に私は、小学校に入って最初の運動会を母に見てもらえない!と大泣きした記憶があります。

私たちの反応を見て母は研修を断念しました。
母も泣いていたように思います。外の畑でタバコを吸っていた父と話をしていたのを遠巻きに見た記憶もあります。

あの時、行かせてあげればよかったな。

今思い返すとそのような思いが膨らみます。もちろん私たち兄弟も大好きな母と長期に渡り会えなくなるので必死でした。インターネットも各家庭に普及は仕切っていませんでしたし、海外との連絡手段も手紙か電話のみだったので気軽にやり取りもできません。
幼い兄弟には当たり前の反応だったのでしょうが、大人になった今なら母がチャンスをもらった海外研修の貴重さが身に沁みてわかります。

私は知らないことを勉強したり、新しい体験をしたりすることが好きです。
そのためもちろん海外での生活にも興味はあります。しかも海外研修は自分のスキルアップにつながるものなのでなおさら行きたいと思ってしまいます。

そういった機会を母から奪ってしまったことに対しての申し訳なさが、年齢を重ねるに連れて大きくなっていきます。

一度母にこのことを話したことがあるのですが、母は「そんなことあった?」と覚えていない反応をしていました。
母を信じていないわけではないですが、きっと覚えているでしょう。

【最後に】

母も第二の人生を送る時期にやってきています。
もう縛られるものは何もないので、父と2人で今までしたくてもできなかったことを堪能してもらえたらいいなと思います。


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