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インドネシアで28歳の社長にボコボコにされた話

僕は大学3年生の春休みを利用して、インドネシアの不動産会社でインターンをした経験がある。今回はその時に出会った28歳若手社長が、21歳の南国出身大学生をボコボコにした話をしたいと思う。別に暴力的に何か問題が起きたわけではなく、ただ単に僕がこれまで出会したことのないタイプの質問をしてくる人間にひたすらに詰められるという話である。

なぜ、今やらない?

インドネシアでのインターン時に「なぜお前はやりたい事があるのに今やらないんだ?」と問い続けてきた沖縄出身の社長(当時28歳)がいる。ちなみに現地の女の子の店に行った後の締めのラーメン屋でもほろ酔いの中でも詰められた。「将来は島に帰って実家の土地を使って一次産業に携わりたい。」夢を語るのには慣れ、100名に告げると「いいね。楽しみだね」と帰ってくるが、「何故今やらない?」と、納得のいく回答が返ってくるまで本気で問い続けたのは彼以外出会ったことはない。

言い訳の天才打者

経験がないから、アメリカ(海外農業研修)で視野を広げたいから。僕が答えるどの回答にも首を傾げ、今にでも胸ぐらを掴んで来そうな目つきで真っ直ぐに僕を見つめていた。質問の回答に困る僕を見て楽しむとかの趣味の悪い感じではなく、ただただ自分の疑問を晴らしたいと願う純粋な問いかけに、僕はひたすら困惑し続けた。何故、こんな共通点は沖縄県人というだけの見知らぬ青年にここまでして聞きたい事があるのだろう?正直、その問いがウザったく感じていた。

日本に戻って、いろんな事を整理した。逆算して、行動しろ。結論、できる環境にあるのに何故やらない?できてないのは何が足りない?明確にして逆算して行動しろよ。そういっている様に捉えている。彼(社長)は自分のやりたい事じゃない仕事で、現地社長みたいな形で勤務していた。本来自由で決裁権のある「社長」という響きを彼から感じなかったのはこういった背景があったからなのかもしれない。あくまでも過程だが、彼からの将来に対して希望しかない青年への嫉妬とシンプルな疑問に答えれなかった僕へ苛立ちや思考力の低さに「何故にそんな呑気な事を言える?」とけつを叩いてくれたのかもしれない。

島に帰る

僕は、彼にあって以来「島に帰る」事を僕自分自身の中で「確定事項」に変えた。確かに自分の将来に対して抽象的で、どう転んでも痛くないようにひたすら補助輪を集めている自分がいつまでも自転しない事を気づかせてくれた。当時話していた未来に僕は今いる。そして「何故、今やらないのか?」という問いに答えれるように、明日を全力で楽しむために常に準備し、行動できている自分がいる。彼はきっと僕の名前も覚えてはいないだろう。でもいつか会って当時の質問の答え合わせをやってみたいな。

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