見出し画像

絶対不変の幸せ

宗教でも哲学でもなく普通に思うことは、幸せになりたいけどなれない時がある。そんな幸せでなくどんなことがあっても幸せだと思うことはできないのでしょうか?

そこで思うことは幸せって何?お金でしょうか?奉仕の精神でしょうか?感謝の気持ちでいることでしょうか?どんな事でも幸せを感じるでしょうが、それは不変とは言えません。

自分の幸せは他人にはわかりません。他人から見たら不幸せでも本人が幸せだと思えば幸せなのですが、それは不変とはいえません。家族の幸せを願って叶っていたとしてもいつ不幸が訪れるやも知れません。

お金があればなんでもできるとお金持ちになる努力をしてお金持ちになれました。そのお金を不幸な人を救うために使いました。苦労をしましたが幸せです。でも老いや死も感じると本当の幸せを知りたくなりました。

自分の幸せは、死んでしまえば、無になるからと思い立ち、立身出世の自叙伝を書き家訓として残しますが、それは不変の幸せなのでしょうか?

幸せを思い求めなくなると不変の幸せが訪れました。その時に自分がすべき事をすれば良いのです。自分ができる事を他人に任せてはいけません。自分でできない事は他人に任せて感謝すれば良いのです。

他人を恨んだり邪な事を思ってはいけません。利用してもいけません。感謝の気持ちを表しましょう。迷惑をかけたなら謝罪しましょう。

死ぬまでにすべき事は幸せを求める事ではなくいつ死んでも悔いの無い状態になる事なのです。