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ピンチはチャンスではなく、チャンスはピンチです。

紀伊國屋文左衛門はみかんを紀州(今の和歌山)から江戸(今の東京)に嵐の中、船で運んで大儲けしました。江戸時代の紀州は御三家の一つです。初代紀州藩藩主徳川頼宣よりのぶは平地の少ない紀州に山の斜面が利用できるみかんや梅作りを推奨しました。江戸では紀州みかんが飛ぶように売れていたのですが嵐で船で運び込まれなくてみかんが不足していたのです。江戸では旧暦の11月8日がふいご祭りで子どもたちにみかんをまく風習があったそうです。

旧暦とは今の暦を使う前の暦で月の満ち欠けと太陽の周りを地球が一周する周期を併せて日と月で表したものです。ですから閏月が必要になりました。今の暦は太陽の周りを地球が一周する日数を元に作られていて閏日があるのです。

閏日とは暦と自然現象である太陽の周りを地球が一周する日数(365.2425)とのずれを調整するもので西暦を4で割れる年を閏年として日数を1日増やして100で割れる年を平年とします。さらに400で割れる年は閏年とするのです。

ふいご祭りは鍛冶屋さんが鍛冶仕事に使うふいご(送風機)に感謝するお祭りです。ふいご祭りとみかんの関係と紀伊國屋文左衛門の伝承は後で作られたかもしれません。

江戸で大坂が洪水による流行病が発生したと聞いた紀伊國屋文左衛門は塩鮭を買い込んで先に流行病には塩鮭が効くと噂を流してから大量の塩鮭を売って儲けた。

紀伊國屋文左衛門は江戸に引っ越してワイロを配りまくって上野寛永寺根本中堂の造営でさらに大儲けその後江戸が大火事だと聞いて紀州の木を買い占めて江戸で売ってさらに大儲け、お金をばら撒いたり豪遊したと伝え残っています。十文銭の鋳造を引き受けてその粗悪品のために大損をして没落したと江戸幕末に書かれた小説に記述されているだけで真意はわかりません。

ピンチはチャンスだと思うと思いやりの気持ちが失せてしまいます。ピンチにならないように価値観を変えるのです。命懸けで危険を冒して得たものはなんでしょうか?

紀伊國屋文左衛門は架空の人物かもしれません。でも思いやりがない行動はチャンスをピンチにしてしまうのです。

十文銭の鋳造はチャンスです。でも粗悪品を作る思いやりのない行動をしたからピンチを迎えたのです。実在していたとしても伝説となり不確かだと伝え残るのです。

思いやりのある行動をした、濱口梧陵は教科書にも載った物語(稲むらの火)で伝え残っています。そして確かな実跡があるのです。

濱口梧陵思いやりのある行動は次回紹介したいと思います。

学ぶとは知識の広場を寄り道をしながら探索するようなものです。

私の記事で学ぶ楽しさに気づいてくださいね。