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自分を信じる

嫌だと思うことは、自分を守るために心が発する信号で、経験を重ねると虫の知らせとか、予知夢、正夢、などの第六感が働く事があるのです。

嫌な予感、違和感を感じても、伝え説得する言葉が出てこないと自分も信じられずに間違った方向に進んでしまうのです。

伝えるとは、自分の心の叫びを違和感を正確に描写してもダメなのです。同じ心の叫びや違和感を感じてもらえる、理解できる言葉でなければならないのです。

知識の違いや環境の違い、そして全ての人には個性があり同じでは無く、その異なる心の持ち主に自分の心の叫びを伝え、共感を得るためには前提としてわかっていなければならない事があります。

それは、興味を惹き、好奇心を満たし、嘘をつかないことです。

興味を惹く事とは、好奇心をくすぐることで知りたいと思う気持ちを持ってもらいそして次に期待を抱かせることなのです。

自分を信じるとは、他人を信じることです。自分と他人は違うけど、共感を得る事ができる表現力、伝える力、知識と知恵と技術があると信じるのです。

このまま何も語らずにいると間違った道を歩むことになるとわかっているのに何も伝えず過ごすことはできません。

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正規社員と非正規社員の待遇格差は、昔の奴隷制度と同じです。生かさず殺さず利用する考え方は身分制度の下人復活と同じなのです。法律が多数決で決まるから不公平が許されるのです。心に訴える。それに応えられる人を育てないといつまで経っても利益優先、経済主義、勝利することが幸せであると思い込んでいる事から脱却できません。

最低賃金を守っていれば良い。人件費は原価を上げる大きな要因だから削減するにはリストラを行うなど人を人として扱わず労働力にしてしまっているのは文明社会と呼ばれている現在です。

外国人を使い、派遣社員を使い、アルバイトを使い簡単に首にする社会は本当に長続きするのでしょうか?働いて賃金をもらうことは生きていくために必要なことです。より多く賃金を貰いたい気持ちはわかりますが、他人を利用して自分の賃金を確保するのは間違っています。

人を利用するのではなく手助けしてもらうのです。お互いに生きていく為に助け合うのです。知恵を出し、技術を使い、必要と思われるものを作りそして売るのです。

嘘を言って売ってはいけません。ポイントがつきますよと言いながら条件があってもらえなかったり、勘違いするような広告であったりしてはいけません。

悪知恵を使うと人の価値が下がるはずなのに、今は上がっています。おかしいと思いませんか?

言葉足らずで誤解を招くようにする文章を勧めることはしたくありません。長所だけ並べて短所を述べないのは間違っています。それが広告だというのならば、広告は間違っています。それが選挙の公約だというのならば間違っています。それがニュースだというのならば間違っています。長所は短所の裏返しでもあり、短所をわかって理解するのと知らずに理解するのでは大きな違いがあります。

文章を書くときには、間違った情報が伝わらないことを意識して書かなければなりません。自分が感じたことをそのまま伝えても共感を得ることはできないので、なぜそう感じたかの理由を伝える事が必要なのです。

全てをわかって文章を書くわけではありませんが、そこには責任が必要です。インターネットで検索して文章を書くことは簡単ですが、どこまで責任を取れるのでしょうか?

自分の目で見て感じた事実をあらゆる角度から観察して伝えないと噂話やデマとなってしまっては、無責任だと言われてしまいます。

同じものを見ても感じ方は人によって異なります。自分でも変化するのですからそれを見込んで伝えなければなりません。

思いが伝わると信じて「エッセイ」を続けます。