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小麦粉の変貌

たこ焼きの皿
「いやはや、これは一体どういうことだ?」
男は、目の前に積み上げられた十枚の皿を見つめ、眉をひそめた。そこには、どれもが見事に丸く焼き上げられた、しかしタコが一匹も入っていないたこ焼きが整然と並んでいた。

「たこ焼きのタコ抜きを十個注文したはずが、なぜ皿が十枚も?」
男は、注文票を見返す。確かに、「たこ焼き(タコ抜き)十個」と記されている。店主に尋ねようと思ったが、この滑稽な光景に、思わず笑いがこみ上げてきた。

「これはもう、芸術だ。タコ抜きたこ焼きの芸術!」
男は、自嘲気味に呟き、一つ一つのたこ焼きをじっくりと観察した。外はカリッと、中はとろりとした完璧な焼き加減。タコがいないことで、生地の味がより際立っている。

「なるほど、これはこれで悪くない。むしろ、新たな食べ物の誕生か?」
男は、箸を取り、一つ口に運んだ。予想に反して、それは極めて上品な味わいだった。タコの存在感がなくなり、生地の旨みがダイレクトに舌に伝わってくる。

「これは、ある種の悟りだ。たこ焼きの本質は、タコにあるのではない。生地にあるのだ」

男は、深遠な感慨に浸りながら、十枚の皿をゆっくりと平らげていった。
「さて、この話を誰かに話したら、きっと面白いだろう」
男は、満面の笑みを浮かべながら、店を後にした。

野菜の宴
「ああ、なんと奇妙な光景か。」
私は、目の前に広がる茶色と緑の風景に、思わず呟いた。茶色い麺は、醤油の香りを湛え、油の光沢を放っている。そして、その上には、緑色のキャベツがまるで絨毯のように敷き詰められていた。
「これは、広島焼きのキャベツ抜きと頼んだはずでは…?」

私は、義母の方を戸惑いの表情で見た。しかし、義母は満面の笑みを浮かべ、「あらあら、焼きそばの方が喜ぶと思ったのよ。ほら、キャベツたっぷりでしょ?」と、まるで私の好物を理解しているかのような口調で言う。

私は、子供の頃から野菜が苦手だった。特に、キャベツのあの青臭さは、私の舌には到底受け入れがたい。食わず嫌いだと言われることもあったが、あの独特の風味は、私の身体に異物感を覚えさせる。

しかし、この焼きそばは違った。醤油ベースのあっさりとした味付けは、私の食欲をそそる。そして、キャベツは、シャキシャキとした食感が心地よく、豚肉との相性も抜群だ。

「これは、一体なぜだろう?」
私は、箸を手に取り、一束の麺を口に運んだ。醤油の風味と、キャベツの甘みが口の中に広がる。私は、この矛盾に満ちた状況に、ある種の恍惚感を感じていた。

「私は、野菜が嫌いだと思っていた。しかし、この焼きそばは、私に野菜の新たな一面を見せてくれた」

私は、この奇妙な出来事を、まるで寓話のように捉えた。それは、人間の心の奥底にある矛盾や、固定観念の脆さを物語っているかのようだ。
「ああ、なんと奇妙な宴だ」

私は、再び箸を手に取り、焼きそばを味わい始めた。

小麦粉の変貌
「メリケン粉、とは何とも風流な名である。」
私は、窓の外に広がる薄暮を眺めながら、遠い記憶を辿っていた。昭和の中頃、我が家の食卓には、頻繁に洋食焼きが登場した。メリケン粉を水で溶き、鉄板の上で焼き上げたその平たい円盤は、私にとって小さな宇宙だった。

干しエビの香ばしさ、青のりの磯の香り、そして割った卵の滑らかな黄身が織りなすハーモニーは、幼い私の心を捉えて離さなかった。

「小麦粉は、実に不思議なものである」

メリケン粉、すなわち小麦粉は、世界中で様々な姿に変身する。うどんとなり、スパゲティとなり、中華麺となる。ひやむぎやそうめんも、その根源は小麦粉である。小麦粉は、まるで錬金術師のように、多種多様な姿に変化し、人々の食卓を彩る。

「洋食焼き、お好み焼き、たこ焼き、ピザ、ケーキ、パン…」

これらの料理は、一見すると全く異なるもののように思える。しかし、その根底には、共通の原料である小麦粉が存在する。小麦粉は、時代や地域、そして人々の創意工夫によって、無限の可能性を秘めている。

「小麦粉は、生命の象徴なのかもしれない」

私は、そんなことを考えながら、再び窓の外を見上げた。薄暮の中に、街の灯りが一つ一つ灯り始める。それは、小麦粉が人々の生活に根付いて、様々な形で発展してきた歴史を物語っているかのようだった。

「ああ、なんと壮大な物語だろうか」

私は、静かに呟き、再び記憶の彼方に旅立っていった。

#パンダで大好きポッちゃん