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理不尽
いくら学んでも理不尽な目に遭わない方法はありませんが、良かれと思ってしたことが余計なことにならない方法はあります。
それは、良かれと思わないことです。自分の行動は良い悪いの分別でしないことです。せざるを得ないことをすれば自分も納得できるのです。
せざるを得ないことをしたのに悔やむのが理不尽なことです。
人の悪口を話している場から抜け出したのに同類だと思わられると同時に仲間はずれになるのは理不尽なことです。
でも、その場から離れたことは「せざるを得ないこと」だったとするならば理不尽では無く当然の成り行きです。
悪口に同意できないのだから仲間ではありません。悪口を悪口だと思っているのは自分です。言っている人は事実を指摘しているだけです。心実を伝えているのです。心実は心の数だけあります。自分の心実と違ったからと言って悪口だと思わないことです。
理不尽は心実を見誤った結果です。何も悪いことはしていないのに事故にあった。理不尽だと思うのは間違っています。悪いことをしなかったことと事故にあうは相関関係にないのです。
「良い人は長生きできないと知っているからあなたは長生きできる」と言われるのは理不尽なことです。なぜなら理屈に合わないことを平然と言う人の存在が信じられないからです。
世の中の理不尽なことは見る角度を変えることで理不尽では無くなるのです。理不尽な目に遭う人と理不尽な思いをさせる人がいたならば、運が悪かったとあきらめてはいけません。
理不尽な思いをさせる人とは早く縁を切りましょう。縁を切らずにずるずると関係を維持させたならば理不尽な思いからは抜け出せないのです。
たとえそれが親子関係であっても縁は切りましょう。
理不尽な思いは見る角度を変えると理不尽で無くなると書きましたが、もう少し詳しく書きます。
思いやりの気持ちは理不尽を理屈で解消できるのです。相手の立場になって考えてみると理不尽ではないのです。せざるを得ないことをしたのです。
思いやりはせざるを得ないことをすることです。