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無かったことにはできないがやり続けることはできる。

年齢関係なくやり続けることはできます。

やってしまったことを無かったことにしようとするから、年寄りはダメだと言われるのです。

ごめんなさい。

死ぬ前に気づいてよかった。

ただ、体力も気力も若い頃のように盛んではないのです。
自己満足とプライド維持の頑固者のわたしでした。

幸せも笑いも仲間もいなかったわたしにその大切さを教えてくれた人がいます。

それはあなたです。

同じことの繰り返しをして何度でも、何度でも挑戦しているのです。
結果を、失敗を、認めなければ何度挑戦しても同じことの繰り返しになります。

同じ過ちを繰り返さない。

でも、同じ過ちを繰り返してしまうのが人です。

やり直せばいいのです。
同じ過ちを繰り返したと認めないからやり直せないのです。

人生をやり直す。

一からやり直す事はできないからさっきやった事をやり直したいと気づいたならやり直せばいいのです。

今、した事ならやり直せる。正確に言うと今、したことに追加の補強をすれば良いのです。

転んで服を汚したならば、転ばなかったことにはできません。服を汚さなかったことにもできません。

起き上がり、怪我をしていないか確認して、怪我をしたなら治療して、汚れた服は着替えて、洗濯すればいいのです。

おしっこをちびってしまえばお風呂に入ってパンツを履き替えて、汚れたパンツは洗濯すればいいのです。

何もせず。転んだことも、ちびったことも無かったことにしようとするから周りの人は困るのです。

ちびったり、漏らしたり、恥ずかしいけど、認めなくっちゃ始まりません。

死んでしまったらやり直す事はできません。
死んでしまったらやり直す必要はありません。

死んでしまうまで周りを困らせないようにやり続ければいいのです。

気づかず、気づいても気づかないふりをしたり、無関心になってしまうと何もできずに終わってしまいます。

継続は力なりですが、どうしようもないことはあります。運が悪かったとか良かったとか、神仏に頼らざる得ないことです。

自分ができることを全力でしたならば結果はどうであれ、やり直す事はできないのです。

やり直しても同じ結果になるのならやり直そうとは思いません。時間を遡ることができるのならばやり直すことで時間の節約にはなりますが、時間を遡ることはできないのです。

同じ過ちを繰り返さないことは時間の節約になるだけのことです。

時間は個人によって流れる速さは異なるのです。時計の1時間はわたしとあなたでは異なるのです。忙しいと早くなり、退屈だと遅くなります。

どんなことでもやり続けてばいいのです。やり直したいとは思わないぐらい全力で当たればいいのです。

全力を出し切っていれば悔やむことはありません。
全力を出し切るにはどうすればいいのでしょうか?

わかりません。

そんなことを考えている暇があったならば目の前のことを考えることにしています。

結果はどうでもいいのです。全力を出し切ったかどうかが問題なのです。

結果が出るまでやり続けることが全力を出し切ることではないでしょうか?
結果を認めないのは全力を出し切っていないからです。

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