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今日の写真は御坊市新庁舎。他力本願の本当の意味を知ろう

他力本願は仏教用語です。他力本願を自分は努力しないで他人に自分の願いを叶えてもらう事だと間違って教える人がいます。仏教には自分も他人もありません。物事を二つに分けて対比する考えは教えを理解する妨げになるのです。

人は理解したつもりで生きているのです。

他力があるから自力もあると思ってしまうのです。対比するのではなくあらゆる物を含めて考えるのです。

自力作善は自分一人の力で善を成そうとする事です。
善悪の解釈をわかりやすく理解できる逸話があります。

仲の良い家族と仲の悪い家族がいました。
仲の悪い家族はなぜ仲の良い家族でいられるのか疑問に思っていました。

ある日、仲の悪い家族が仲の良い家族に聞きました。
「なぜお宅の家族は仲が良いのですか?」
「それはあなたの家族は善人だからです。わたしの家の者は悪人ばかりだからです」仲の悪い家族には少しも意味がわかりませんでした。

ある日、仲の良い家族の家の自転車が盗まれました。これで仲の良い家族の秘密がわかるかもしれないと仲の悪い家族はこっそりと覗きました。

「わたしが盗まれない場所に自転車を停めれば良かったのです」と子どもが言いました。「いや、わしが自転車を盗まれない鍵を準備していなかった事が悪かった」と父は言ったのです。「わたしが自転車が盗まれる事を教えていなかった事が悪いのです」と母が、家族の者は次々に「わたしが悪いわたしが悪い」と自分が悪者だと言ったのです。

仲の悪い家族は「私は悪くない」と自分を善人にして相手を悪者にしていただろうと言いました。

自分が善だと主張すればするほど悪人になっていくのです。

自分の力と他人の力を合わせて他力と言っているのです。
本願とは「幸せに暮らす事」です。

その教えを伝えてくれた仏様とそのお弟子さんと伝えてくれた先人に感謝する気持ちが南無阿弥陀だと思うのです。

幸せは人によって異なると思いますが心から感じると感動するのです。
美しいもの、安らぐもの、落ちつくもの。
辛いの反対が幸せではないのです。
辛いも幸せも感動の一部です。
辛くてもすぐに幸せがやってきます。辛くなければ幸せも感じません。

他力とは全ての力の事です。自分の力だけでは生きる目的は果たせません。
絶対に避ける事ができない事は、生きるものには最後がある事です。
生きる目的の最後は死ぬ事です。死ぬ事に対する恐怖・不安・生き続けたい欲望が死ぬ覚悟ができない原因です。

生きる目的は死ぬ覚悟をする事です。死ぬ覚悟ができていないと自分の欲望を満たそうとするのです。自分の事しか考えなくなるのです。

仏様の願いを叶える事で死後は極楽浄土へいけます。仏様の教えをよく聞いて理解しましょう。感謝の気持ちで南無阿弥陀と唱えましょう。と浄土真宗は言ってます。

自分が理解できる事だけで良いですからわたしの記事を読んでください。

知らんけど。

経済的に幸せにはできないかも知れませんが精神的に幸せにする自信があります。と言いましたがついてきてくれました。今は、精神的に幸せだから次は経済的に幸せにしてと言われています。