Noteの使い方(認知症への恐怖)
人間は認知しているから生活ができる。
認知できなくなったら生きていく為に誰かの手を借りなくてはいけない。
最近、忘れている事を忘れて、気がつけば忘れていた事だったと言う事が増えてきた。危ない事態になってしまうのが、火の取り扱いだ。
やかんに水を入れて火をつけて忘れてしまい。空焚き防止装置のおかげで助かった事がある。水を入れずに火をつけると明らかに認知症の疑いがある。
そこまではいっていないと思う。
炊飯器のスイッチの入れ忘れ、電子レンジで温めていた事を忘れて食事後に指摘されて、そのおかずだけを食べる。認知症では無いと思うが、夫婦二人だけの生活で今ならお互いにかばいあいながら生活できる。
これが、認知症になって老老介護となった時にどうなるのだろうか?
子供たちは独立して別の家庭を持っている。孫もいる。面倒はかけられない。死ぬほどの病気や怪我をしたら安らかに死にたい。
そうならない為に、日頃から健康管理をしっかりして悔いのない人生だったと思えるように勉強をしてやれる事の幅と奥行きを伸ばしたいと思う。
独学でここまでこれたのは、勉強が好きだからです。家族を養う為に高卒で働く事にしたので工業高校の電気科を卒業しました。電気回路に興味を持ったのが中学校3年の時、高校では、情報処理部の部長と風紀委員長をして地元の電子計算センターでオペレーターとプログラマーそしてシステムエンジニア。経理、給与計算、自動車整備業のシステム、国保年金、行政書士、国体管理に学校給食、図書館、織物業に病院、老人ホームの事務システムと一般的な販売管理、ガソリンスタンドなど業種業態を色々経験しました。
昔の事なので今では役に立ちません。ただ勉強すればできる範囲は増えると言うことは実践できました。その会社のその部署しか経験のない人は、普通はこうでしょうと普通という言葉で説明がありません。どこにも普通は無いのです。あるのは自分の知識だけです。
認知症になるとその知識が無くなっていくのです。過去の知識で今必要な事は少ないです。忘れてもなんら支障はないからです。やってきた事はもっとあるでしょうが、忘れているので書けません。でも、なんら支障は無いのです。
生活に必要なことは覚えるのではなく身につけるようにします。癖にしてしまうのです。文章を書く癖。本を読む癖。食事に洗濯、掃除にお風呂、トイレに衛生面、すべてを癖になるように繰り返します。
認知症になって、頭には残っていないけど身体が覚えているという状態にしていきたいのです。文章を書いたり、本を読んだりする事は、認知症予防になると思っています。写真を撮る事も絵を描く事も認知症予防になると思います。
忘れてもまた覚えれば良い。覚えられなければメモを残すのです。
メモが読めなくなったなら録音すれば良い。
録音も聞けなくなったなら「おさらば」です。
Noteは、文章もつぶやきも録音も写真も動画も残してくれます。
私の認知症予防の為に使い続けたいと思います。
副産物として読み物が書けてたくさんの人に読んでもらって感想を聞かせてもらえれば励みになります。写真に動画、それに絵も描きたいです。
まだまだチャレンジは続けていきます。人は変われるのです。進歩できるのです。学んで、失敗して、めげずに繰り返していけばいつか成功するでしょう。
人はそれを努力と呼んでいます。認知症になっても文章を書く、文章を読む事を続けていれば、いつかたくさんの人が読んでくれる文章が書けると信じています。