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悪意なき悪

悪意なき悪

世の中は、良かれと思った事でできています。
誰も自分は悪だと思っていないのです。

何を悪と定義するのでしょうか?

人間が否定的だと思う対象を悪と言います。善に対する悪であって個人の価値観で善悪は異なるのです。

価値観が同じ人は、善悪が同じです。善悪を規則で定めても規則を作った人と価値観が異なると規則を守らない人が出てくるのです。

ワイロをもらってはいけません。それは悪い事です。とわかっているはずなのに、役得で誰にもバレなければ悪い事ではないと業者に手心を加えて税金を無駄に使ったりするのです。

一万円の価値は個人によって異なります。借金まみれで一万円は焼石に水の金額だから賭け事でもして増やそうとする人、月の小遣いが三千円の人には一万円は大金です。

命の価値、仕事の価値、健康の価値が異なる人が、同じ規則を守ろうとしても違った行動をしてしまうのです。

価値観を高めましょう。自然の摂理に合った価値観を持ちましょう。

自分一人で死ぬ事は寂しいからと他人を道連れにするのは、命の価値観が自己本位過ぎるのです。
働く事ができないので、死ぬまで牢屋に戻って暮らしたいと思うのは社会価値を見誤っているのです。
仲間外れにされないように話を合わせるのは自分の価値観に自信が無いからです。学んで自分の価値観に自信を持ちましょう。

他人の価値観を変える事は難しい事です。
思いやりとは価値観を変える事ではありません。
相手の価値観を理解してから行動に移す事です。

相手の幸せを願っていれば何もしない事が思いやりになる事もあるのです。
思いやりがなければおせっかい、悪くすると悪意なき悪になることもあるのです。

善意の悪の例が最近ありました。
大阪法善寺の水かけ不動尊が苔に覆われて汚いと思って掃除した人がいました。骨董品を綺麗に磨くと価値が下がる場合があります。汚れた絵画に筆を入れたり、悪気は無いのですが叱られてしまうのです。

悪意なき悪は価値観の違いです。