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地獄、極楽、行ったり来たり。

閻魔大王様を知っていますか?

死んだ後、地獄へ行くか極楽へ行くか判決を下す裁判官のような仏様です。
閻魔帳を見て決定するのです。閻魔帖には罪がすべて記録されています。地獄にいくか。極楽に行くかお裁きがあるのです。悪い事をしたら地獄へ。悪い事をしなかったら極楽へ。そのお裁きは生きている間の行ないで決まるのです。そして地獄に行くことが決まったら地獄を一通り巡って人間以外の動物に生まれ変わるのです。極楽に行った人はその後人間に生まれ変わることができます。でも今は効率の良い方法に変わったのです。

この世は、人が生まれる数と死ぬ数でバランスをとっています。あの世は死者の国です。最近は、生まれ変わる事を拒む死者が増えて地獄も極楽も死者で一杯になってしまったのです。だから閻魔大王様は生きている間に極楽に行ってもらうことにしたのです。

生まれて最初に行くのは地獄です。何も見えず。自由に動けず。聞こえてはいるけど理解できない。そして喋れない。救いは地獄だとはわかっていない事です。泣き叫んでも思い通りになる事はありません。自分一人では何もできないのです。お乳を飲み、おしめを替えてもらい。入浴させてもらって少しずつ出来ることが増えてきます。でも地獄は続きます。

地獄だとは気づいていないので極楽がある事も知りません。

閻魔大王様は生まれてきた時から心と言う名前になって一人一人の中にいるのです。心は感情という形で極楽や地獄に導くのです。しあわせを求めすぎるしあわせ地獄。しあわせはそこら中にあるのに気づかない気づかない地獄

苦労も感謝の気持ちで取り組めば楽しい極楽にいる事に気づくのです。嫌々すれば嫌々地獄。自分の利ばかり追いかけていると損得勘定地獄に落ちてしまって苦しむことになります。

そうです。地獄極楽は生きている間に行くことになるのです。閻魔帳は必要ありません。地獄極楽を行ったり来たりしているのです。

痛い目にあった。死ぬ思いをした。病気になった。それは地獄ではありません。お金持ちになった。美味しい物を食べた。インスタ映えする景色を観た。それは極楽ではありません。地獄極楽の境目を歩いているのです。常に地獄にいる人。極楽にいる人。外からではわかりません。

閻魔大王様が姿を見せる事はありません。極楽にいる人は人間に生まれ変わります。地獄にいる人はその他の動物に生まれ変わるのです。基本的にはそのようになるのですが、極楽に行った人の中には樹木に生まれ変わりたいとか海や空に生まれ変わりたいと願う人がいます。もちろん叶います。

すべての人は巡り巡って人に生まれ変わります。前世の記憶は消え去りますが、細胞は覚えているのです。細胞はその記憶を頼りに増えて自分がすべき役割を行うのです。

物は集まる事でその役割を行う事ができるのです。個々の個性は他の個性で生かされるようになっています。その役割を伝え合う事で生きているのです。

地獄に落ちる事はありません。すでに地獄にいるのです。
極楽に行けます。すでに極楽にいるのです。気づかないだけです。

閻魔大王様がいつも心の中にいるのだと自覚して極楽に気づきましょう。