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昭和史に消して残らないpanの物語3

特に需要もなく称賛されることもないうえに恥の多い自分史だが、
続けることに意味があるんだってば。  ←誰に言ってる?


大阪生まれ高知育ちのpanが(めんどくさいので「.」はとることにした)
絵が下手な幼少期、
思慮浅い小学生時代を経て
地元中学校に入学したところまでが前々回、前回。

今回は
たくましい女子中学生時代のもうひとつの思い出。


校内弁論大会にクラス代表で出場した。

弁論のタイトルは「母へ」
壮絶な反抗期(pan.の物語1参照)を耐えてくれた母への感謝を述べた内容だ。

この中で私の心に残っているのが
自分を持て余して屋根に上って卵を投げることでアピールしていた私を
部屋に連れ戻し、抱きしめて
「神様、私(←母)と〇〇(←私)を正しい道に導いてください」と
私に諭さずに神様に祈り始めたエピソードだ。

そう
母はクリスチャンなのだ。
ちなみに父も私も妹もクリスチャンだ。
ついでに私の娘も息子も姪っ子もみんなそうだ。
日曜日には特に用事がなければ当然のように教会に行く。

クリスチャンって 奉仕の心がある聖人だよね
みたいなイメージで見られることが苦手で
周囲にあまり言いふらしてはいないのだが
クリスチャンであることは私を形成している資質の中で割と大きい比率を占めているような気がしている。

クリスチャンとしての話は大学時代が最盛期(?)なので
ここでは多くは書かない←のちに出てくる

話を戻そう

暴れる私には何も言わず 神様と対話し始めた母に
私は特に違和感をもたなかった。
たぶん 一般的な感覚としては 変な人という見方になるんだろうと思う。
電車の中で急に「神様、この電車の中にいるみんなを祝福してください」とぶつぶつ独り言を言い始める人がいたら私でもアブナイ人だと感じるだろうから。

私に直接言わずに
私を責めることはせずに
神様にお祈りを始めたのは
この時の私には割と効いた。

叱られてナンボのことをしている自覚はあった(と思う)し
叱られたら反抗してやろうとも思っていたと思う。←なんせ反抗期だし
なのに
叱ることを一切せずに
祈り始めた母

今思うと
反抗期というのは
諭したり叱ったり罰を与えたりすることの効果があまりないものなのだ
こうあるべきというのを分かっていても自分を制御できない という時期なのだ
ということが母には分かっていたんだろう。
藁にもすがりたい思いだったんだろう。
藁にすがるより神様にすがった方が精神的にはよいし 効きそうでもある。

そういう反抗期を
黙って支えてくれてありがとう
いっぱい心配させてごめんね
というのがこの弁論大会の主張の趣旨であった。

たぶん感動したのはうちの母だけだっただろうけど


ということで今回はクリスチャンであるというカミングアウトを無事に終え、次回に続く

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