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クラニオセイクラル モジュール10

先日、クラニオセイクラルバイオダイナミクスの
モジュール10を終了した。

長いような短いような、不思議な濃縮された時間

今回は、イグニッションという最も核というか、
生命の点火
クラニオセイクラルバイオダイナミクスでみている
タイドモーションの始まりの一滴をみる 

えー!!私にそんなの見られるの!?

という驚愕はさておき、
やはり瞑想から始まる4日間。

瞑想

相変わらず、瞑想中はいろんなことが浮かんでくるけれども、
チャクラブリージング瞑想が私にはあっていたらしい。
初めてやった時は、口が乾くし、
早い呼吸で、各チャクラで息をしているようなイメージ。
吐く息にだけ集中していく。
頭部へ近づくほどに、速くなったり鼻で息したり、
その箇所箇所で、やりやすいやり方が違う。
第五・第六ののどや頭のあたりの時は、涼しく感じることもあった。

そのうち、息の響きなのか、音楽の響きなのか細かい振動を感じることも。

ブリージングが終わった後、横になって身体を観察する・感じるのだけど、
その時の何ともいえない、身体のすみずみまで細かく振動しているのを
感じた時の心地よさ。
瞑想後の観察が、こんなに心地よかったことは無いな。

それを二日間やったあとのハート瞑想の時は、
自分の身体の感覚をまず初めに感じることができた。
そんなことは、今までなかった(目を向けていなかった?)ので、
それに少し驚きつつも、心地よく、
そのままハート瞑想中もハートからの感覚をもったまま瞑想できた。

氣づき

このモジュールが始まる前に、長女との会話で氣づいたことが1つ。

「私は、できないことが、できるようになるのが好き」

なんだ~ということ。
だから、自分で制限かけて、できないていで、時間をかけて、
じっくりと自分と向き合い、いろいろなことに考えを巡らせ、
やっとここへきて、前へ進んでもいいよ♪
のタイミングなのか?!

顕在意識では、早く知りたいし、できるようになりたいと
思っているのに、潜在意識では、そうなることを恐れているというか、
自分を守るために手放してきたような節があるらしい。

まぁ、それも意識のなせる業らしいので、
自分の氣のもちよう、なところもあるのでしょうが。

クラニオセイクラルバイオダイナミクスを学び始めてから、
身体の神秘だけでなく、世の中の事、見えないこと、
自分のことへ意識が向くようになった。
今まで何とも思ってなかったことが、実は関係していたり、
今まで思い出しもしなかったことが、実は関係していたり。

世界は、過去も今も未来も、流れていくのだろうけど、
その中で生きている私たちも流れていくのだろうけど、
いかに自分で見たい方を意識して・意図して、日常を送れるか。

昔のこと

あ~。そういえば、若い頃、いろんな小説を読みながら、
小難しいことを考えていたな~。
もうめっきり、してないけど。しないようにしたのかもしれないけど。

中高大くらいのころは、突然燃え尽きることがあったな。
全てのやる氣がなくなるというか。
前兆なんてなんにもなくて、ただ電源おちるみたいな。

最近なかったけど、一昨日・昨日あたり少しそんな感じだった。

よく見る夢があったな。
歯が抜ける夢。
自分で歯ぎしりのように、力いっぱい噛んで、
止めた方がいい!!って思っているのに、
どうしても止められず、ボロボロッ!!!ってたくさん歯が抜ける

今思い出しても少しゾワッとする感覚。。。

そういえば、あの夢も最近は見ないな。

クラニオバイオ モジュール10

そんな今までの自分も全部ひっくるめて、今の自分。
なんなら、お腹の中にいる間や、その前の遺伝子情報たちも
持っている今の自分。
モジュール10で向き合うのはそんな自分なのかもしれない。

今の顕在意識では、
「早くタイドが分かるようになりたい。身体の組織の動きが知りたい。
何が起こっているのか知りたい。」

でも、潜在意識では、「それはやめておいた方がいい」と、
何かの警告のように阻止する。

でも、今の自分には警告されるようなことは起きてなくて、
別に誰も非難も否定もしていないのに、
自分で、否定された氣になって、先に閉ざしている。

「私にはコレは分かりません(見ません)」と。

モジュール10で聞いた
self
being
source

selfだけに目を向けていても、確かに健康ではあるけれど、
beingに目を向けると、より深い健康へ。
sourceに目を向けると、それはもうこの身体に縛られることなく、
自分という存在だけでなく、
もっと大きな安心感に委ねることができるような。
自分の浅はかなものではなく、今までの全ての叡智を
頼りにできるような。
なにかとんでもなく壮大なことになった(笑)

でも、それは、自分の全く外で起きていることではなく、
外でも内でも起きている。受け取っているもの。
人間は宇宙の一部であり、宇宙は人間の一部である。
なんか、アーユルヴェーダでならったことに通じるな。

真理は同じで、形をかえて発見されたり、
伝わったりしているだけなんだろうな。

クラニオセイクラルバイオダイナミクス
そんな、自分という存在・他者という存在、
何者でもない、命そのもの教えてくれるような
ボディワーク

これから一生お付き合いさせていただきます☆

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