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自分のことって、分からない

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを学んでいて、
仲間から「身体もトラウマとかも何も問題なさそうだし、
どうして、クラニオバイオにたどり着いたんだろうね」と
言われるくらい、自分でも一般的で、身体の不調とかもあまりないし、
トラウマも無いし、そんなに深堀するほど、
身体に興味があるとも思っていなかった。

家庭も一般的な家庭と同じで、父母ともそろっているし、
姉妹の仲も特に悪くない。祖父母とも暮らしていた。

ただ、アーユルヴェーダを知って、実践するようになって、
クラニオバイオを学ぶようになって、今まで特に意識してなかったことが、
紐づいてきたりする。

身体のことはなんだかんだ、むかーしから興味があったようだし、
神社、合氣道、弓道など和のものや身体を使うもの、伝統的なもの、
精神性も興味があった。

人前に出るのがとても恥ずかしいけど、実は氣にしてほしかったり、
末っ子でみんなから甘やかされて育ったと思っているけど(自他ともに)、
自分の言い分は、あまり外に出してなかったかもしれない、
親に認めてほしいとも思っていたみたい。

子どものころの記憶があまりないな~と思っていたけど、
どうやらそれは、自分の身体と心が繋がってないからかも?
ってことだったり。

あとは、面白いな~と思っていた弓道が、大学時代に苦しいものに変わっていたり、自分の身体が自分の意思では動かない、と思っていたり。
教えられる形ばかりをおって、自分の身体の感覚を追いはするものの
信じなかったり、見過ごしてたり。
今も、だいぶ自由にやらせてもらってる、と思っているけど、
本当はもっと自由にやりたいと思っていたり。

そんな自分の感覚感情と、思考とのギャップや、
過去の自分の感覚感情を置きざりにしていたことに
氣づかせてくれたのも、クラニオバイオだな~と思う。
身体に触れて、見守られている、時にどんな感じがしますか?
と質問されるだけ。
全ては身体に残っているもの。

こういうものを学ぶ機会がなかったら、私は私を置き去りにしたままで、
この先も過ごすことになり、いつか爆発していたかもしれないし、
夫や子どもとの間にも、何か問題が起こったりしたかもしれない。
起こらないかもしれないけど。

日常のバタバタは相変わらずあるものの、未来への希望とか、
深い愛とか、とっても大事なものを持てているのは、
氣づかせてもらったおかげだな~と思う。
それも、きっかけはクラニオバイオだけど、
自分の身体から氣づいた、というか身体は全て知っていて、
思考が追いついてないだけ、という。
なんとも不思議な感じだ。

今までも瞑想はあったけど、今回のモジュールでハート瞑想をしていて、
初めて自分へ赦しが必要だということを感じて涙したり、
自分が自分に寛ぐということが、他人への寛ぎにもつながったりする、
ということも学んだ。

自分の感覚感情に開いている人、氣づいている人は、こんなにややこしく
無いのかもしれないけど、全く氣づいてない私のようなタイプは、
少し思考から感覚へ、シフトした方が良いのかもしれない。

自分が知らないと思っていた自分と出会ったら、
もっと自分のことを知りたくなって、自分がもっとオープンになったら
どんな感じになるのだろうか、と楽しみでもある。

過去は今の自分を作っているけれど、それを忘れている場合もあるし、
もしかしたら、今は必要ない条件付けなども持ったままかもしれない。
知らず知らず、それに縛られて苦しくしてるかもしれないし、
色んな方法で、自分を知っていくのも悪くないな、と思う。

私が知ったものを、周りの人にも知ってもらって、
何かの役に立ったら嬉しいな、と思う。

そのためには、どうやって広めたらいいのか、そこが悩むところ。

地道に近しい人から広めていきたいのだけど、
星よみからすると、私の発信力は、ミサイルくらいの飛距離とのことで、近しい人は射程外??

どうか、このnoteを読んだ方だけでも、何か伝わるといいな。

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