書いたって何になるのだろう?
人に嫌われたくない。家で脱毛をした。友達がいないなどと、私の頭の中を文字にしてネットに垂れ流して、一体何になるんだろう?
有名人でも何でもない、田舎に住む平凡な主婦の日記を世界に公開したところで、誰が読むんだろう?
ライターになってバリバリ稼ぎたい!というわけでもない。この世に私という人間が生きた証を!ベストセラー作家に俺はなる!とかいう野望を持ってるわけでもない。
なのに、書いてる。昔からずっと書いている。
1人1ページずつ毎日!と取り決め、更新が遅いとしつこく取り立てまくり、どんどん参加人口が減っていったクラスメートとの交換日記。(比例して友達も減っていった)
勝手に書いて、コピーして配ってた演劇部だより。(最後の方は後輩ですら「大丈夫でーす。さっき読みました〜」とか言って受け取らなくなった。)
友達や彼氏とも毎日ウザがられるほどメールをしてた。(既読無視もへっちゃら!涙)
本が大好きで、辛い時にはいつも面白い小説を読んで、現実とは違う世界に逃げていた。
転校少女だった私の友達は図書館の本だったから、私もこんな風に人の心の拠り所になりたい!と考えて、小説に挑戦した事もあった。古い鉄道に住み着いたセミの家族の紆余曲折を書いたストーリー。何が面白いのか全く思い出せないし、今でも熱を出した時とかに夢にその家族が出てきてうなされるが。
ブハハ! と笑えるような、文字通りの面白い文章も大好きで、加藤はいねさんや、ARuFaさんのブログを毎日のように読み漁っていた。
日々の辛い事を笑い飛ばして忘れさせてくれる、そういったブロガー達に憧れるようになってからは、FCブログ、アメブロ、ワードプレスと、プラットホームを変えながら、エッセイのようなものをずっと書いていた。
もちろん完全にただの自己満。ただの趣味だ。高橋一生と付き合える可能性や、もし彼のマネージャーになったら…などと延々と検証していた。しょうもない。
あまりにも恥ずかしいので、途中、全てを闇に葬り去ったこともあったけど、現在またこうやって懲りもせずnoteに誰も興味のない主婦の日々考えていることを垂れ流している。
たびたび、何のためにこんなことやってるんだろう?と、ふと冷静に思うこともあった。でも、そこまで深く考えずひたすら書いていた。一日何本も書いていた時期もあった。
そこまで読んでもらえなくても、書いて公開していれば満足だった。ついでに誰かに少しでもクスッとしてもらえたらな、くらいの気持ちで書いていた。
そんな中、昨年、作家の岸田奈美さんの開催された「キナリ杯」という文章のコンテストに何気なく応募してみた。そこでいい評価をもらったことで、より多くの人に読んでもらえるようになった。
いろんな意見をもらうようになった。
ー 文章下手すぎ。国語勉強した方がいい。調子に乗ってる。
ー 助詞の使い方おかしい。重複しまくり。レベル低すぎ。
ー つまんない。どこが面白いの?
ー インフルエンサーに媚び売って優勝した。卑怯。醜い。存在じたい目障り。
ー 人を傷つける文章。ネットから消えろ。
ー めっちゃ笑いました。元気もらいました。辛い時に、また読みます。
賛否両論、いろんな意見。
だったはず。
でも私の脳みそは、ネガティブな事ばっかり強烈に覚えて、頭からずっと離れず、褒められた事はすっかり忘れてしまうという厄介な仕組み。
初めは気にしないようにして書き続けていたけれど、記事を公開するたびに届くコメントに一喜100憂。
私の文章は全然ダメ。面白くない。つまんない。卑怯、醜い。存在じたい目障り。人を傷つける。消えてほしい。
中にはモノを書く知り合いもいた。それまで仲良くしていた人から罵られるのは相当キツかった。
だんだんnoteやブログではなく、目立つツイートに対してもいろいろ届くようにもなってきた。
こんな事言われてまで、なんで書いてるんだろう?書いたって、何の意味もないのに。一銭にもならないのに。
書く理由がない。
私は受賞後に書いた記事を削除し、そこから半年、書く事を人生で初めて辞めた。
書く事にも読む事にも興味がなく、そもそもネットにもあまり触れない夫にはあまりわかってもらえず、コロナで家族以外の人にはほとんど会えない状況下で、どんどん一人で内側に気持ちを抱え込み、ぐるぐるモヤモヤ…。
noteだけでなく、ブログ、ツイッターも削除し、辞めた。
そして昨年末、ぶっ壊れた。
思い詰めたらまっしぐら。さすが蠍座A型ド級のメンヘラ女。(そうでない蠍座A型の方もたくさんいます)一気に極論までぶっ飛んでしまう。
私の存在は人を傷つける。目障り。消えろ。
誰にも話さず誰にも聞かないでいるうちに、最後には書く事だけではなく、自分の存在の意味がわからなくなってしまった。
なんで書くんだろう?なんの意味があるんだろう?が、いつの間にか、なんで生きてるんだろう?なんの意味があるんだろう?になった。
ネットで検索したり、図書館で本を借りて、生きる意味まで探し求める毎日。でも、どこにも納得いく答えは載ってない。
考えても考えてもわからない。探しても探しても見つからない。
やがて、納得するのは諦めた。そんなもん誰もわかってないっぽい。
ーもういいや。
あとは、ゆっくり息をして、この形を保って、子供たちを生かすための毎日を寿命が来るまで送ろう。
毎日をやり過ごすために、記憶を呼び起こすものを全てブロックして、なるべく感情を波立たせない努力をした。
生きる理由の答えを求めなくなり、代わりに美味しい食べ物を取り寄せたり、カワイイ動物の動画を見る事にした。
美味しいな。かわいいな。
食べ物や動物を見ているうちに、なんとなく誰かのnoteやブログも読むようになった。
ふふ。バカだね。
くだらないな、面白いな。
気づけばまた、面白い文章ばかり選んで読むようになっていた。
生きる意味とか、理由とか、もうそういうんじゃなくて、大笑いできたり、知的好奇心が掻き立てられるような面白いものだけ。
ワクワクする未知の国の話とか、全然知らなかった職人の世界とか。
そして、辛かった事を面白おかしく書いて笑い飛ばしているあの人、岸田奈美さんの文章。全てを明日の活力に変えている文章に、また、心を打たれた。
また、昔みたいに辛い時期を面白い文章に支えられているな。
…そう思った瞬間、思い出した。
ー 元気もらいました。辛い時には、また読みます。
私のレーザー脱毛の記事に、そうコメントしてくれた人がいた!
もしかしたら、あの時、私も、誰かの岸田奈美さんや、加藤はいねさんに一瞬でもなれてたのかもしれない。
……やっぱり、書きたいな。
書きたいけど、また責められるのが怖い。でも、書きたい。何の意味があるかわからないけど、書きたい。
誰も傷つけることのない文章なら書いてもいい?
必死に必死に考えて、何度も何度も書き直して、半年ぶりに公開した。
超絶くだらないnote。
誰も傷つけないけど、誰の心にも、何も残らないであろう文章。
それでも、読んでくれた人の「面白かった!」という感想を聴いて安堵した。
書いて、公開できた。
内容に意味なんかなくても、また自分の存在を認めてもらえた気がした。立ち直る気力が湧いた。
思えば、上手く話せない代わりに書いて読んで認めてもらう、それがずっと私だった。
お喋りで仲良くなるのが下手くそな代わりに、読んで笑ってもらって友達を作ってきた。
言葉で上手に甘えられない代わりに、書いて、好きと伝えてきた。
友達を言葉で慰める代わりに、手紙を書いて渡して励ましてきた。
悲しみや怒りは、中でも一番話すのが苦手で。
どうしたって上手く話せず、泣いて黙ってしまうから、特に面白おかしく書いて、無理矢理笑い飛ばしながら伝えてきた。
幼い頃から借金まみれの家庭で育ち、父も母も順番にいなくなり、私と弟は学校を辞め、中卒で働いて生きてきた。
それを友達や恋人に説明するときも、それから、誰でもない自分自身に言い聞かせて納得する為にも、面白おかしく書いてきた。
そうだ。そうやって、悲しみも、怒りも、愛も、全てを書いて伝えるようになったんだった。
私はずっと、自分で自分のことを認めるために書いてきたんだった。
ーいい文章とは?
「いい文章とは、読む相手をハッキリ定め、伝えたい事を明確にした読む価値のある文章」
伝えたい事なんて、何もない。書いても意味がない。
読んで欲しい相手もいない、読まれる価値もない。
でも、私は、自分で自分の存在や考えを認めるために書いている。自分に、こう生きてくけど大丈夫だよね? って確認する為に書いている。辛いんじゃない、面白いんだ、言い聞かせて前に進む為に書いている。
私は、生きるために書いている。
お金を稼ぐ為でも、どこかの誰かに、素晴らしいモノやコトを伝えたいわけでも、生きる意味を教えられるような価値のある文章でもないけれど、わたしは、自分のためにこれからも書こうと思う。
そのついでに、誰かがクスッと笑ってくれたらもっといい。
書いたって何にもならなくても、読まれる価値もなくてもいいから。
私は書きたい。
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