すべて母のせいにして
ランドリーボックスさんで、母の日を挟んで「母」にまつわるエッセイを書いた。
今まで封印してきた思い出を、ずるずる…と引き出すこととなり、それに伴っていろんなものが出てきた。
今までどこにも書いてこなかった。私と母についてのエッセイ。
文字通り”わたし”を作った人物であり、”わたし”に多大な影響を与えた母。
ほんの些細なものでも、母の言葉の切れ端を少し思い出すだけでボロボロと涙が溢れてきて、止まらなかった。涙と一緒に、傷つけられた思い出や、傷つけた思い出や、心配をかけた思い出が、どんどん出てきた。
親についての記事、漫画、ドラマなどをみるたびに、もしかしたら私も、いわゆるアダルトチルドレンの一種なのかもしれないな、とも思ったりもしたが、それらに向き合う度量がないため、全部に蓋をして、ひたすら働いてきた人生だった。
蓋をしたくせに、長年心の底ではそう思っていて、そのせいであれも上手くいかない、これも上手くいかない、と人生で起こる悪いこと全てを親のせいにしていた。
しかし、それが間違っていたことに、書くことによって気付かされた。というか、もうずっと前から気づいていたのに、そうすることによって逃げ道にして、本来の問題と向き合うことをしないで目を背けていたのだと思う。
それから、私も母も、ちゃんとお互いを想っていることにも気付けた。
そして、今年の母の日にはようやく「ごめんね」と「ありがとう」を伝えることができた。
「何が」ごめんね、なのかまでは言えなかったけれど、ケーキとプレゼントを渡して「いろいろごめんね。いつもありがとう」と言った。
母は、「…何のことやら」と言いながら、ケーキとプレゼントを受け取って、嬉しそうにしていた。ように見えた。
照れ臭くてはぐらかしたのか、本当になんのことやらわかってないのか。私に似ているので、想像はつくけど。
いずれにせよ、言えてよかった。
書いて本当によかった。
これからは、ずっと幸せでいてください。
ーおしまいー
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