自問自答に関するメモ①
この記事では、自問自答を以下のように定義する。
1つの物事を、ありとあらゆる視点から、骨の髄までしゃぶり尽くすかのように思考・分析すること
たとえば、私は最近、岡奈なな子のYoutubeにハマっている。
ふと、次のような疑問が生じた。
なぜ、自分は岡奈なな子のYoutubeにハマっているのか?
これに関して、自問自答を実行してみる。
イントロ部分を少しだけ紹介しよう。
実際はもっと複雑かつテキトーであるが、読みやすさを考慮して簡潔な形に修正してある。
Q.この問いを考える価値はあるだろうか?
A.ある
Q.なぜそう考えたか?
A-1.ハマっている原因を解明し、これ以降、何の目的もなく惰性的にYoutubeを見てしまう現象に終止符を打ちたいと思ったから
A-2.この中毒性を自分の発信活動に活かせるかもしれないと思ったから
A-3.何の目的もなく、惰性的にYoutubeを見てしまったことに対する罪悪感を紛らわしたいと思ったから
Q.この問いの前提に誤りはないか?(本当にハマっているか?)
A.ない
Q.なぜそう考えたか?
A.主観的にハマっていると感じたから。
Q.そもそも、「ハマる」とは何か?
A.意識の有無に関わらず、何かに夢中になること
Q.「夢中になる」とは何か?
(以下省略)
ここで大切なのは、感情をいっさい持ち込まないことだ。
感情を持ち込むと、必ず自分の思考にバイアスが生じる。
先入観・偏見・バイアスを一匹残らず脳内から駆逐するための努力は、明日地球に隕石が降ってこようとも、怠ってはならない。
すなわち、「感情をいっさい持ち込んでいない」と思っている自分さえも疑うことが求められる。
なぜなら、「感情をいっさい持ち込んでいない」という思考そのものに、感情が持ち込まれている可能性だって、けっして否定はできないからだ。
ともすれば、これは堂々巡りになってしまう。
どのタイミングでこの懐疑をストップするかは、あなたが決めるしかない。
ここでの取引は、どれだけ自分が自分自身を信頼できているかを把握できるチャンスでもあり、これは実に面白い。
今回はここまで。
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