アンチとか犯罪者の気持ちが分かるかもしれない
最近メンタルがかなり落ち込んでいる。こんなこと簡単に書きたくないが、ここのところ、独り言での「〇にたい」が口癖になっている。とは言っても本当に〇にたいわけではなく、もう色々めんどくさくなってすべてを投げ出し現実から逃げてしまいたいという思いを一言で表すとそうなってしまうのだ。
メンタルがかなり沈んでいる状態だと全ての人を、またその言動を、批判的に悲観的に捉えてしまう。言葉を選ばずにいうと見る人すべてが偉そうに見えてくるのだ。テレビをつければ芸能人が、政治や芸術やお笑いや情勢を偉そうに語っているように見えるし、noteを開けば知りもしない一般人が誰も興味ない当たり前みたいな自分の考え、発想を、あたかも自分だけの「気づき」の様に題して偉そうに語っているように見える。聞く話も読む内容も全部浅くて、誰でも一回は通るような筋道をたいそれたことかのように偉そうに見せていると思えてしまう。
実際、本当にそうかもしれないが、いやそうである部分もあるはずだが、そういう風に思ってしまって、またイラついて、そんな自分にもイラついて、生きづらさを感じ口癖の独り言が出てしまう。おそらく自己評価が下がりに下がったことで悲観的な目線が強くなったのだ。
大したことのないことにムカついてイラついてしまうという心情はSNSでよく見るしょうもない批判、挑発、誹謗中傷のコメントを大量に残す何かしらのアンチたちとよく似た症状ではないか、
勝手に根に持って復讐と題して他者に被害を及ぼす犯罪者と気持ちが似てるかもしれない。
私は今学童で働いているのだが、大人の怒りのツボを心得たクソガキの挑発、ムカつく表情にふと手が出そうになった自分に驚いてその場を離れた。そんな私はそういう人たちの気持ちが分かるかもしれない。
あと少し倫理観が無かったら、私は完全に犯罪者になっているし、
もう少し羞恥心が無かったら、私は誰かの誹謗中傷をしている、
かもしれない。
結局自分だってそんなことを偉そうに書いて、どうせ誰も読まないのに少しでも何かできた気になって、恥ずかしい。ああ生きづらい。