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『独裁者たちのとき』アレクサンドル・ソクーロフ監督 オンラインQ&A2023年4月29日(土)渋谷ユーロスペースにて

Q.日本の観客の皆様に監督から一言お願い致します。
 
アレクサンドル・ソクーロフ監督(以下ソクーロフ監督): 親愛なる日本の観客の皆さん、本日は『独裁者たちのとき』を見るためにお越しくださりありがとうございました。心より感謝申し上げます。私にとって日本というのは非常に大切な国でもあります。今回このような形で皆様とオンラインで交流できる機会というのは、やはり日本の芸術に関わる映画界に関わる皆様のご尽力、なくしては実現し得なかったことです。
 
今は残念ながら大変苦しい時期を我々は迎えています。すなわち戦争が起きています。この戦争を喜んでいる人は誰一人としていませんし、この戦争は誰一人にとっても必要なものではありません。全く不要なものです。我々が理解していることがあります。それは、戦争というのは突如として発生するものではない、ということ、戦争を起こすのは人々であり、頭の中でそれを別の形で解決することができない、複雑な状況を解決することができないという時に、人々が起こしてしまうものだということです。戦う、争うということは、政治家であれ外交官であれ、テーブルの席について、言葉の力でもって戦い続ければいいのです。それが例え無限になろうとも、言葉を使って、交渉の座について闘い続けるべきなのです。軍隊や軍。そういったものは必要ないのです。
また、政治の権力の座についている人は大きな権力を持っています。ですから、私達はそのような大きな権力をかつて持っていた人、今持っている人、そのような人々についてよくよく考えなくてはなりません。それが私達の義務です。そういう人物に権力の座に就いていて欲しいのか欲しくないのか。私達はそれについて考える義務があるのです。
 
それこそがこの作品でテーマとしていることです。私達はそれぞれに民主主義国家、民主主義体制の国に住んでいます。ですから私達が選挙などで支援する人々がどういう人々なのか、それについてよく考えなければなりません。私達が誰を支援するか、選び取るかによって今後の人類の運命が決まってくるのです。私たちが選挙で選びとらなければならないのは、政治的な価値よりも人道的な価値に重きを置いている人々です。私たちが実際に投票場に行って、投票用紙に名前を書く時にそのことについて考えなければなりません。私たちは誰に投票しているのか。私たち個々の責任というものは小さいかもしれません。ですが社会全体として考えたときには責任は大きいのです。そして民衆全体が負う責任というものはますます大きくなっていきます。
 
それについて描いたのが本作、原題「Сказка」、直訳すると「おとぎ話」、邦題「独裁者たちのとき」です。本作の登場人物ですが、実質的に第二次世界大戦を始めた人々、であるとも言えます。このような人々が実際にはどういった人々であったのか、それについてご覧いただけたのではないかと思います。
 



Q.ここからは観客の皆様からのご質問に監督に答えていただきます。まず1つ目の質問です。「この映画において群衆の描き方が圧倒的でした。監督にとって群衆とは何でしょうか?」
 
ソクーロフ監督:とてもよい質問ですが、お答えするのは難しいですね。これはいわゆる「歓声の力」ですね。人々がたくさん集まって一つの塊となった時に生じる喜び、すなわち群衆となった時の歓喜です。人々が一緒に集まった時、大きな力が生まれます。しかも、その力はネガティブなもので、そのネガティブな力はなにかを創造するのではなく破壊する方向に向かってしまいます。本作に登場している群衆の波というのは、既に亡くなった人々、亡者の波です。亡者の群衆です。彼らは戦争の中で命を落としたり、あるいはイデオロギーの闘いにおいて命を落とした人々です。そして、矛盾しているかもしれませんが、戦争によって亡くなったにも関わらず、やはり民衆というものは戦争を欲するものです。戦争を煽り起こしてしまった人々を、やはり求めるものなのです。例えそれによって自分たちが命を落としたのであれ。群衆というのは、例えるならば動物の一群とも言えるでしょう。すなわち彼らは自分たちに餌を与え導いてくれる主人を求めているのです。その方向が破壊、戦争といったものであっても、彼らは自分たちを導いてくれる人を求めているのです。
ただ、本作で描かれている群衆の波というのは<地獄>のイメージです。まさに地獄です。悪意を持ち困窮した人々が群衆となっている。これは最も恐ろしいイメージ、すなわち地獄なのです。この地獄というのは、その地獄自体がどんどん大きくなっていきたい、巨大化していきたいと考えています。何を欲するか。地獄は戦争を欲します。地獄は生きている人間を死者に変えることによって、それを栄養源としてさらに大きくなっていきます。
広島でかつて原子爆弾が投下されました。非常に多くの人がそのまま焼かれて亡くなったり、命が犠牲になりました。彼らがやって来て問います。「これは一体何だったのか」「何のために必要だったのか」。このような質問に対して政治家は回答を避けたがるものです。直接的に答えたがりません。ただ芸術が、このような疑問を投げかけ、問答することができるのです。

『独裁者たちのとき』


 
Q.次のご質問です。「強いて言えば登場人物4人で一番好きなのは誰ですか?」
 
ソクーロフ監督:それぞれ異なる登場人物ではあります。彼らはもちろんその人物像としては異なっていますが、「不幸」という家族の中にいる兄弟のようなものではなかろうかと考えています。彼らはいわゆる同時代人です。そして強大な権力を手にしていました。そして自国民に熱烈に支持されていました。忘れてはならないことに、あのヒトラーでさえ民主的な選挙によって選ばれたのです。そしてその他の3人もまた同様に、民主的な方法によって国のリーダーとして選出された人々なのです。
次のようなイメージをしてください。仮に私が医者だとします。そして登場人物の4人が負傷した状態、あるいは病気の状態で私のもとに運ばれてきました。私は彼らがどんな人物であれ、どんな人間であれ、それに関わらず彼らを治療しなければなりません。まず診断を下し、治療方法を決め、そして治療を行います。そして人々のもとに彼らを戻します。さらには神のもとに返します。
彼らが完全に治療を受けて元気になったとき、国民や法律、立法、さらに神が、彼らがしてきたことの処理をするために、私は彼らを裁く判事でも検察官でもありませんが、ただ私は医者として彼らがどんな病気を患っていたのか、それについて伝えなければならないと思います。彼らの病気はどのような危険性をはらんでいたのか、それについて伝えなければなりません。その危険性とは何か、その病気の危険性とは何か、危険な病気とは何か。それは権力なのです。ですので、私は伝えなければならないのです。権力を手にした人々というものは非常に危険だということを。これを民衆に伝えなければならないのです。
私達は民衆として、そのような人間にあまりにも多くの権利を与えてしまっています。そしてあまりにも多くの権利を手にしたそのような人物たちが、その権利を行使して実際に何をしているのか。私達は知らないことが多いのです。
ご回答になるでしょうか。全ての登場人物に対して私の姿勢、考え方というのは同じです。私はこれら4人の登場人物に対して非常に大きな懸念を持って、今もなお研究し今後も研究していくことでしょう。ただ、20世紀における政治的な規模に関して言えば、好む好まざるに関わらず、やはりスターリンではなかったのかなと思います。
 
Q.次のご質問です。「扉の向こうにいるのは本当に神様ですか?チャーチルだけ天国に連れて行くという約束は本当ですか?」
 
ソクーロフ監督:皆さんはどう思いますか?扉の向こうに誰がいたのかを私が理解していたと思いますか?私自身はそれをわかっていないと考えています。想像することはできるのですが、分かりません。理解していません。仮に神様が扉の向こうにいたとします。そして人々が死を宣告された。そのような運命にあるとします。そして例えば、人類の大きな問題でもあるのですが、誰かが罪を犯そうとしています。扉の向こうの人がずっと向こう側からそれを見ていて、止めようとするでしょうか。止めることはできないですよね。それが問題だと思うのです。そういう状況を踏まえると、どういう結論を導き出すことができるでしょうか。扉は向こうにある。すなわちあちらにいる何らかの存在は、私達の行動に何らかの干渉ができるわけではない、責任を負うわけではないのです。自分の行動に責任を持つのはその人自身です。
今申し上げたことはあくまでも、芸術家、アーティストとしての私が持っているイメージで、学者や哲学者の方は別の見解をお持ちになるかもしれません。ただ私の考えとしては、人類はあまりにも多くの間違いを犯し過ぎているので、天上にいるその何らかのものというのは、呆れている、手を振って諦めてしまっているということではないかと思うのです。その天上にいる、向こう側の存在が、私達に何を言っているかというと、「自分たちの問題は自分たちで処理しなさい」「私達に言ってくるな」ということです。「私達は天上の、より高尚な問題を取り扱うのに忙しいのだから」と。
例えば原子爆弾を搭載した飛行機が空を飛んで実際に投下したわけですが、そのとき乗員はなぜ引き返そうとしなかったのか。なぜ神はそれを引き返させようとしなかったのか。それを投下しないことによって人々を守ることができたのに、なぜそのようなことがなかったのか。それについて私はよく自問することがあります。
 

『独裁者たちのとき』


チャーチルについては、チャーチル本人もその家族も連れて行ってもらえると思います。いわゆる汚職というのは至る所にあるものですから。チャーチルは賢く賢明でもあり、そして他方で狡猾なずるい人でもありました。天使に対してどういう提案をすればいいかというのを彼はわかっていたのではないかと思います。天国のオフィスで実際にどんな実務が行われているかを誰が知ることができるでしょうか?日本には天照大神という古代の神がいますけれども、その神様が日本人を作ったときに、今後どうなっていくのかということは知らなかったことでしょう。
 
Q.次のご質問です。「なぜこの映画に昭和天皇を登場させなかったのですか?」
 
ソクーロフ監督:今回登場人物として取り上げなかったのは昭和天皇裕仁だけではありません。アメリカの大統領も取り上げませんでした。その他、ポルトガルやスペインのファシストもこの登場人物のラインナップの中には入りませんでした。同じような質問をアメリカの国民にされます。なぜ自分たちの大統領を登場人物の中に入れなかったのか、と。それに対して私は非常にシンプルに答えています。第一次世界大戦と第二次世界大戦、二つの世界大戦があったわけですが、それを引き起こしたのはヨーロッパでした。それらの戦争をどのように行なっていくのか。そのシナリオを書いたのはヨーロッパの人々でした。ヨーロッパの人たちは、このような戦争の悲劇の責任を問われるべきなのです。ヨーロッパで戦争が起きる。これはもはや慣習のようになっています。なぜこのような戦争が起きるのか、そしてヨーロッパの問題を考えるために、今回の登場人物の中にはヨーロッパにおけるそのような人物を取り上げたということになります。
現在行われているロシアとウクライナの戦争において、それが最終的には第三次世界大戦、もしくは核戦争の引き金になるのではないかと言われています。ただこのようなことはやはりヨーロッパで多く論じられているのです。なぜかヨーロッパで行われる戦争と軍事紛争が、世界大戦に発展していくのです。これが、ヨーロッパが抱える問題なのではないかと思います。ヨーロッパの人々は世界大戦を起こす。これが歴史的な事実になってしまっているのです。大変残念なことですが、大きな戦争はヨーロッパから起きる。
ですから、今行われている戦争を、大規模なものにしてはいけません。それを止めなければなりません。火を焚いてその炎を煽るのではなく、平和な方法で解決しなければならない。何があっても、いかなることがあってもこの戦争を大規模なものにしてはいけません。なぜならこの戦争の原因というものは、政治的なものだからです。政治的な理由、それのみだからです。
 
Q.次のご質問です。「『太陽』について何か思い出深いことなどありますか?」
 
ソクーロフ監督:日本の俳優は、世界でも優れた素晴らしい俳優たちだと思います。信じられない才能に恵まれていて、プロフェッショナルでもあり、彼らに達成できない課題はないと思えるほどでした。私は日本の俳優が大好きです。彼らと一緒に仕事をするのが非常に快適で楽でした。彼らは私が言ったことはすぐに理解してくれました。非常に心を込めて仕事をしてくれました。『太陽』は日本人の精神に触れる作品でもあったので、演じるのは非常に難しかったはずだと思いますが、彼らは素晴らしい仕事をしてくれました。
私があの作品を撮ろうと思い立った時、当時日本の友人は「やめておけ」と私に言いました。そんなものを撮ってもそもそも上映もされないし、日本ではこういう作品を作ったところで誰も見に来てくれないと言われました。そして日本人の俳優を起用しなければならなかったのですが、こういった作品で撮影に応じてくれる俳優もいないだろうと、そういうアドバイスを受けました。しかし実際のところ、声をかけた俳優たちは「わかりました。自分が演じましょう」ということですぐにその出演に同意してくれたのです。
 
撮影チームで一丸となり、日本の人々に対する愛情と共感を持って臨みました。そして歴史的に偉大な人物とされているその人物の気持ちを理解したい、その気持ちを込めて撮影に臨みました。
 

『太陽』



Q.次のご質問です。「全てアーカイブ映像とのことですが、同じアーカイブ映像で映画を構成する、セルゲイ・ロズニツァ監督の作品を思い出しました。同じアーカイブ映像でも異なるベクトルに向かうのが面白いと感じます。ソクーロフ監督にとって、アーカイブ映像を使用することとクリエイティブの関係をどのように考えているか教えてください。」
 
ソクーロフ監督:アーカイブ映像を用いて作った映画、すなわちドキュメンタリー映画は世界中に多く存在します。そのような形で作られたドキュメンタリー映画には真実性を持つものもありますし、これが実際にあったことなのだという核心に迫るものもありますし、また感情的に大きく揺さぶられるものもあります。ただ、本作に関してはそういった社会情勢を論じるような社会評論映画でもなく、また学術的な作品でもなく、歴史的なものでもありません。アート、芸術作品だということです。
例えばこのような作品を撮るにあたって、俳優に演じてもらうこともできましたが、彼らはやはり演じてしまうのです。つまり、問題は、そこから何が生まれるのか?真実性は生まれるのか?ということなのです。
本作に関しては俳優を起用しないで、歴史的な人物の真の姿、生身の姿を見せています。彼らは監督の指示なしに自分たちの動きをしており、それによって自分たちの真の姿を見せているわけです。どのように彼らが落ち込んだりしたのか、落胆していたのか、どのように彼らが怒りの感情にとらわれていたのか、互いに会話をしていたのか、そういう姿です。いわゆる俳優が演じた、演出したような歴史的な作品ではなく、このように真の姿を見せている本作は、信頼に値するのではないかと思います。彼らは自分たちの真の姿を自らさらけ出しているわけですから。私達はこの作品を作るにあたり、本当の状態が記録されている色々な映像の中から、より長めに撮られているものを集め、パズルのパーツのように組み合わせました。政治家というのは口を閉ざすことを恐れるものです。考え込むことは、どうしたらいいのか分かっていない、と捉えられてしまうので、そうした姿をさらけ出すのを好まないのです。しかし、本作ではそのような姿も描いています。
 
彼らが政治家であったということ、それをまずは忘れなくてはいけないと思います。それが重要です。そして彼らはそもそもどういう人間だったのか、権力を手にした人々というのは、本当はどういう人たちだったのか、ということです。私達を統治するそのような歴史的人物が、実際はどういう人々なのかということを、私達は理解すべきです。そして彼らはどのような決断をするのかということについても理解すべきです。

『独裁者たちのとき』


Q.次のご質問です。「ウクライナ侵攻以降、生活や仕事の面で変化はありましたか?プーチン政権から圧力を受けるようなことはありましたか?今後もロシアで映画制作を続けていかれますか?」
 
ソクーロフ監督:もちろん変化もありました。ロシアにおける政治的な状況はあれ以来非常に困難なものになりました。我々にとっては日々深刻さを増しています。ロシアの議会がその後様々な法律を制定し、その法律によって私達は多くを語るのを禁じられました。多くを語るだけではなく、時には考えることさえも禁じられています。今の状況を捉えるのが難しくなりました。私は芸術家というのはいたって平和的な職業だと思っているのですが、私のような職業人にとっても非常に困難なものとなってしまいました。
プーチン政権から圧力を受けたかということですが、私個人としてはそのようなことは感じません。今のところは。ただ、私の教え子がそのような圧力を感じています。彼らは作品を作って発表したいと思っていますが、検閲の監視がありそれができないでいるのです。
 
ただ、私が撮った作品もロシア国内では今上映できなくなっていますので、そういった意味では、非常に困難な状況にあります。ですので、本日このように会場に多くの人が詰めかけてくださり、私の作品を見てくださっている、そのような状況を垣間見ることができたのは私にとっては非常に大きな喜びです。今回このようにお越しくださいました観客の皆様に改めて心より御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます。皆さんのような人々が私たちには必要なのです。
 
Q.最後に、「今日は4月29日で、昭和天皇の誕生日です」とのメッセージです。
 
ソクーロフ監督:先日ペテルブルクであるイベントが行われたのですが、そのときに駐ペテルブルク日本総領事と会い、話をしました。そのときに彼に「日本とロシアの両国間に友好と相互支援といった取り決めが交わされるその日まで、私は生きながらえたい」と言葉をかけました。ロシアと日本は隣国でありながら、平和に関する条約や友好に関する条約がないというのは、やはりそれは自然ではありませんよね。日本は遠く離れた国々に対しても様々な条約を結んでいます。非常に多くの条約を多くの国と結んでいる。中には数千キロと離れた国に対してもそのような条約や友好関係を築いているわけですが、他方隣国である私達はどうでしょうか。私達両国は未だにお互いに手を差し伸べようとしていません。人道的な原則主義に則ればそのような関係があって然るべきなのですが、政治的な何らかの主義によって未だにそれが達成されていない。これがいわゆる政治というものです。ロシアの人々にとってこのような条約は必要なものです。日本人に対し、愛情や友情をロシア人は抱いています。日本は自らの労働によって、ここまでの大国になるまで自分自身を成長させ達成したからです。

アレクサンドル・ソクーロフ監督


──ありがとうございました。ぜひ日本にもお越しいただける機会ができればと願っています。

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