映画『マイ・ファミリー~自閉症の僕のひとり立ち』市川宏伸さん(日本発達障害ネットワーク理事長/日本自閉症協会会長)トークイベントレポート2023/11/25(土)新宿K’s cinema
「自閉症」の診断基準~リトマス試験紙では決められない~
自閉症の方って今だいたい何人くらいいるのかとお考えかと思うのですが、なかなか難しいですね。それはなぜかというと、リトマス試験紙ではないですから「はい、あなたは自閉症、あなたは自閉症ではない」というように、はっきり分けられないんですよね。「〇」「×」だけでなくて、「△」がいっぱいいらっしゃいますから。ただ毎年色々報告が出ていて、長野で調べた一番新しいケースだと、だいたい人口の5%の方が自閉症だと言われています。20人に一人はそういう方がいらっしゃるだろうと。ただ先ほど言った理由で、「△」はどこで線を切るかというのは難しいところがあります。ただ、それだけ多くいらっしゃるということを、ひとつ覚えていただきたいです。
最近は「自閉症」「自閉スペクトラム症」と呼んでいますけれども、まとめて「発達障害」という呼び名もあります。2017年に国が作った法律にのっとって、この中に自閉スペクトラム症や注意欠陥多動性症、学習障害などもひっくるめられてあります。医療では、発達障害の診断の基準はありません。「神経発達症」という名前で国際的に呼ばれるようになってきています。ではどうやって診断しているのかというと、国際的に決めたルールがあって、その文章に当てはまるかどうかで判断するようになっています。ですから、そういった意味で主観が入ってきてしまう部分もあります。血液を調べればわかるという検査もありますが、自閉症や内科疾患、自己免疫疾患など原因がよくわかっていないものについては、項目をいくつか作って、それを満たしたら診断しましょうというふうになっています。「操作的診断基準」という名前で呼ばれています。ですから、自閉症も操作的診断基準で決められていると考えていいと思います。理由はよくわからないのですが、世界的にみると、先進国であれ後進国であれ、だいたい比率は同じくらいだと言われています。文明が進んでいるとか進んでいないとかは関係なく、同じような比率で自閉症の方がいらっしゃるだろうと言われています。
私自身、もともとは全然違うことやっていたのですが、途中で気が変わって医学部に入り直しました。それで何を勉強しようとなって、その時に自閉症の話を聞いて非常に興味を持ちました。当時は原因がよくわからないし、今もそうかもしれませんが、アメリカなどでも、癌の原因は究明されても自閉症の解明はその先になるだろうと言われています。遺伝的なものも背景にありそうだとか、あるいは客観的というか、いくつか状況的なものもあるのですが、だれもが認める原因はわかっていません。
自閉症はどう受け取られてきたか
今日みなさんがご覧になった、『マイ・ファミリー~自閉症の僕のひとり立ち』。この話は、自閉症がどのように世界的に受け取られたかということとも関係しています。自閉症は長らく、今の統合失調症が一番小さい年齢で発症したものだと考えられていました。ですから、長らくは統合失調症の中に自閉症が含まれていたのです。1942年にアメリカの精神科医レオ・カナー(Leo Kanner)(*注1)が初めて11名の症例を取り出して、そのうちの7名に知的障害があったと言われています。ですが、どうもこの人たちは典型的な統合失調症(当時は精神分裂病)ではなく、これは別の疾患であるということで、「自閉症」という言葉を使ったと言われています。
翌年の1943年、オーストリアで子どもの研究をしていたハンス・アスペルガー(Hans Asperger)(*注2)が、「自閉的精神病質」というものを報告しています。「病質」とは何かというと、性質と疾患の間ぐらいのものです。「疾患」とは報告はしていないのですが、なぜ精神病質としたかはかはわかりません。当時、アスペルガーさんがいらっしゃったオーストリアは、ナチスドイツの占領下にあったので、そこで「障害者」と言うと、そのまま海外に連れていかれてしまうというようなことがありました。「ナチスには障害者はいない」という考えだったのかもしれません。そういうことがあって「精神病質」という言葉を使ったのではないかと言われています。アスペルガーさんが報告した自閉的精神病質は4例だけですが、そのうちの3例は知的水準に問題がない方だったと言われています。アスペルガーさんの報告は敗戦間際のドイツ占領下のオーストリアで報告した論文なので、あまり国際的には知られませんでした。
「親が悪いからだ」は間違い
当時精神分析学が非常に進んでいたアメリカでなされた、レオ・カナーさんの報告の方が、はるかに話題になりました。レオ・カナーさんが報告した自閉症の様態については現在もほとんど正しいと言われています。ただ一つだけ、現在おかしいと考えられているのは、「自閉症の子どもの親御さんはインテリジェンスが高く、冷たくて強迫的だ」という一文です。のちにレオ・カナーさん本人は否定しているらしいですが。この部分が取り沙汰されて、要するに「そうなったのは親の愛情が足りないからだ」と。特に母親が責められました。母親の愛情が足りないから、自閉症になったのだ、と。この理論は、日本だけでなく世界的に広がりました。大変なお子さんを抱えて大変なお母さんたちが、「愛情が足りないからこうなった」と責められた時代でした。日本でも同じです。結局どうしたかというと、「じゃあ愛情を注げばいいんだ」ということで、医療でも福祉でも全部同じで、一生懸命お子さんに愛情を注ぎました。変わるはずもなく、下手すると自分と体重が同じくらいになったお子さんをおんぶしたりだっこしたりしていました。今考えてみると悲劇が起きていました。もっと大きな悲劇は、夫が「お前の愛情が足りないから自閉症になったんだ」と言ってさっさと離婚してしまうということでした。結局、お母さんとお子さんが心中してしまうということがあって大きな問題になりました。
医療では1950年代半ばにイギリスのマイケル・ラター(Michael Rutter)*注3という方が自閉症のお子さんを持つ親御さんと持っていない親御さんの育て方を比較し、何も違いがないということがわかりました。ということで、レオ・カナーさん一つの報告はおかしい、ということになりました。したがって医療では1950年代の終わりくらいには、この理論はおかしいということに気が付いていたのですが、マス・メディア等ではその後もずっと続いていました。私が新聞を見ていても、相変わらず「親が悪いのだからしようがないよね」という議論が、今から15年前くらいにありました。これは間違いです。
そういう時代でした。これは世界的に広まりましたから、日本だけでなくてオランダも同じだったと思います。おそらくこの映画の背景には、結局世間からは「親が悪い」、「愛情が足りないから子どもが自閉症になった」と決めつけられるということがあったので、ご家族で一生懸命工夫をして対応されていたことが、この映画の中に出てきているな、と私は思いました。
日本でも自閉症協会ができたのが今から53年前です。恐らくオランダより日本の方がちょっと早かったのかもしれません。今日映画に出てきたお父さんは、オランダ自閉症協会を作った方だと伺っておりますので、ちょっと日本の方が早かったのかもしれません。結局どういうことになったかというと、「親が悪いのではない」ということで、原因はわからないけれど、やっぱり当時は一つの障害であると考えらました。そしてお母さんたちはそういうお子さんを連れて厚生労働省に乗り込んでいって、担当課長さんの机の上を、子どもさんを走らせたという話まで残っています。実はそれがきっかけで、「日本自閉症協会」ができましたし、初めはだいたいお母さんたちからスタートしているのです。
「自閉症」にも色々な方がいる
去年、インドネシアに行きました。東南アジアの国々は今右肩上がりです。インドネシアは1億8000万人もの人々がいて、人口世界第5位です。おそらく、あと10年以内にタイやフィリピン、ベトナムなどは日本の人口を抜くだろうと言われています。そこで私が見たのは、お母さんたちがみんなで集まって、自閉症の子どもさんたちの療育を行っているところでした。インドネシアでは、行政が直接的に支援していませんが、実際そこで見る自閉症の方は、日本で見る自閉症の方とほとんど同じです。
一般的には知的レベルの低い方が多いでのす。ケース・モンマくんは、知的レベルはかなり高いところにあるなと思います。そういうことを考えて、両親は自分たちだけで頑張ろうというふうになさったのではないかと思います。
私自身、全然違うことやっていて、医学部に入り直して自閉症が面白いなと思ったのですが、今から40年くらい前に大学を卒業して、都内のいくつかの小児科をいくつか尋ねたのですが、「うちは自閉症やっていません」というところがほとんどで、「どこでやればいいのですか」と聞いたら、「そんなの精神科に行けばいいよ」と言われたのを覚えています。実際、精神科の中に自閉症もやっている方はいらっしゃるのですが、圧倒的少数です。精神科は自閉症よりも統合失調症やうつ病が中心でした。私のスタートは精神科で、子どもの精神科というのが中心でやってきました。ちょうど今から40年くらい前に、今はなくなってしまったのですが、当時世田谷にあった都立梅ケ丘病院という全国で一番大きな自閉症の病院に勤務しました。石原都知事の「都立病院は赤字だから潰せ」という大号令の下で、16あった都立病院が8つになりました。私は病院が統合されるまで、30数年おりましたので、自閉症の方とはお付き合いしていました。
ただ、「自閉症をどうしたらいいですか」というのは非常に難しい問題です。自閉症の方と言っても、知的レベルがものすごく高い方から、言語が殆どない、IQが低くてできないという方まで幅広いです。知的レベルが高い方について言えば、私が実際に診断したわけではないからわかりませんが、多くの仲間が言うことには、日本でおそらくノーベル賞をとった人の半分くらいは知的レベルが高い自閉症ではないかと言われています。あながち間違ってはいないと思います。特定の分野をものすごく掘り下げて研究されますから、世界で有数の研究者になるわけです。今でもアメリカのシリコンバレーでは、知的レベルが高い自閉症の方を集めようとしています。なぜかというと、他の人と発想が違うから。会社にとって非常に役立つということで、集めています。一方、知的レベルの低い自閉症の方については、なんらかの支援が必要だと言われています。
変わる支援のあり方
今は自宅で過ごしにくいから入所施設という時代ではなくなってきて、グループホームという形が主流になっています。グループホームなどで暮らしながら生活していくということです。日本でもここ10年くらいでずいぶんできてきました。ただその中で、知的レベルが非常に低い方をどれだけ見られるか、というのは難しい問題です。支援する側の問題もありますから。私は海外のことを詳しいわけではないのですが、4年くらい前にデンマークに行くことがありました。デンマークでは、昔から自閉症の方をグループホームでみようという考えがあって、1975年に自閉症の方のためのグループホームができました。個別の部屋があり、みんなマイペースに暮らしています。そろそろ50年が経つので、これを作り直さないといけないという話がでていました。国によってずいぶん支援の仕方が違うし、支援の水準も違っているのだなと思っています。
「いいところ」を見てほしい
私は今も、週3日外来で診察していますが、自閉症の方だけではなくて、「注意欠如多動症」の方など、いわゆる行政的には「発達障害」と呼ばれる方々ともお付き合いしていますが、発達障害の方は非常に不器用なんです。今日見たモンマ君もそうかもしれませんが、どちらかというと、私の知っている限りは、嘘をつくのが非常に下手な方が多いです。ついてもすぐバレるようなことを言って、見方によれば純粋なんです。我々がみる時に「発達障害の方」とまとめて言っても、そうした人たちには良いところと悪いところがあります。社会的に合わないような、まずいところばかり見ると、いつも怒られているような存在になって、注意され叱られ、社会から疎外されてしまうようになってしまいます。逆に、良いところはないかなと見ると、他の人ができないような素晴らしい才能を発揮するところもあると思います。今日見たモンマ君も、日本語も喋るということでしたから、勉強しているのだと思います。そのようなところを見ないといけないと思いますし、私のところに来ている方でも、毎年公務員試験受けているけれど、落とされ続けていると。聞いてみると、ペーパーテストは全部通っているのです。最後の面接のところで「なんか雰囲気がおかしいな」となって面接官は落としてしまう。そういうことを繰り返して、20いくつ落ちました。これは問題だと思います。もちろんシリコンバレーみたいになればいいんですが、そうではなくて、「なんか変だな」というところばかりを見ていくと、そういう結果になってしまうのかなと思います。
自閉症を含めて発達障害の方というのは、悪いところと良いところがあります。ぜひ「良いところはどこだろう」と考えると、会社などでも良いと思います。人間関係が悪いので困ったもんだ、となると疎外されてしまいますので。
(*注1)
レオ・カナー Leo Kanner
(1894年~1981年)オーストリア・ハンガリー帝国のクレコトフ(現在のウクライナ)で生まれる。1913年にベルリン大学に入学し、1924年、サウスダコタ州の州立大学で医科助手の職を得てアメリカに移住。その後、児童精神医学部門の創設者に選ばれ、1933年に児童精神医学の准教授に。アメリカで初めて「児童精神科医」を名乗った医師でもある。1943年に11名の子どもの症状を記述した論文「情動的交流の自閉的障害(Autistic Disturbances of Affective Contact)」を発表。これらの症候群を「幼児自閉症(early infantile autism)」と呼び、「自閉症」と略称した。自閉症研究の第一人者であり、今日の自閉症研究の礎を築いた。
(*注2)
ハンス・アスペルガー Hans Asperger
(1906年~1980年)オーストリアのウィーン出身。第二次世界大戦中はユーゴスラビアの枢軸軍軍医であった。終戦間際には子どものための学校を開いたが、学校は爆破され、仕事の多くを失う。1944年に論文「小児期の自閉的精神病質」を発表し自閉症の定義を示す。その後、ウィーン大学小児病院小児科主任教授に着任し、20年間務める。彼の名にちなんで命名された「アスペルガー症候群」は、1994年には精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)の第4版で正式に採用されたが、2013年に削除された。また、アスペルガーの論文はほとんどドイツ語で発表され、翻訳されることがなかったため、世界的に認識される前に亡くなった。
(*注3)
マイケル・ラター Michael Rutter
(1933年~2021年)レバノン生まれ。父親は医者であり、彼が4歳のときにイギリスへ引っ越した。バーミンガム大学医学部在学中は一般医になって父親の診療に加わるつもりだったが、脳、精神、神経外科の関係に興味を持つようになり、神経学と小児科の大学院研修を受ける。1966年から2021年7月までモーズリー病院で顧問精神科医として勤務し、1973 年に英国初の児童精神医学教授の職を授与される。400を超える実証論文と 40 冊の本を出版し、その多くは子どもの発達の理解に永続的な影響を与えた。「児童精神医学の父」ともいわれている。
※脚注はパンドラ作成
監督:モニーク・ノルテ
出演:ケース・モンマ/ヘンリエッテ・モンマ/ヴィレム・モンマ
2023年/オランダ/カラー/83分/ドキュメンタリー
原題:Kees vliegt uit 英題:A place like home
EUフィルムデーズ2023上映時邦題:ケースがはばたく日
※監督の許可を得てオリジナル版(105分/EUフィルムデーズ2023上映版)より短縮しております。
後援:オランダ王国大使館/一般社団法人 日本発達障害ネットワーク/一般社団法人 日本自閉症協会
日本版字幕:吉川美奈子 配給:パンドラ
文部科学省特別選定 青年向き/成人向き 令和5年11月6日
文部科学省選定 少年向き 令和5年11月6日
厚生労働省推薦
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