なくなって、気づく、気づかない。

健康、当たり前にあるような日常の光景。これが非日常に変わること。これは多々ある。

健康に感謝しているつもりでも、否健康下におかれると人間そうでもない。

人間の脆弱性はその環境下で発揮されるが、その環境値においての、その人自体の在り方には、千差万別である。

癌になって局部切除した人においても、それを契機にたばこを止めない人も多数いるのが面白い例である。

この気づきだが、年齢如何というのは、相関関係があるようで無いものかもしれない。

無くなって気づけたら儲けものではないかという話であるが。

大きい病気をしたりして初めて分かるものもある。それが身近な人に対してもかもしれない。

この感じ、忘れがちであるので、どこかで。

許せないもので頭がいっぱいな人、責任感が強くて、しっかりした自分を持っている方々。

なくなって、気づき、そして成長できると感じられる。この感覚。

喪失感に縛られ続けていると、まったく以て分からないが。

なくなって気づくことができるなら、安いものはない也。

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