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もう一度文章を書けるようになりたい話(後編)

前回までのあらすじ。

かつてのイエモリ氏には、ADHD特性の、常時勝手に流れる大量の情報と思考の洪水、そしてそれが何故かそれなりにちゃんとした文章として出力されるという、自動筆記機能がついていた。
本能的な判断と直感をいい感じに増幅するその思考の洪水は、高い自動言語化機能と相まって、発達障害傾向の人にありがちな無数のとんでもねえ欠点を補って余りあるほど、生存の役にたってきた。
ヤベー欠点もそうとうにあったものの、その特質に、おんぶにだっこで、概ね頭を使わず楽しく生きてきたイエモリ氏だったが、その先にはあろうことか高次脳が待っていた。

1,

あるとき、いつでも大量に頭の中を流れ続けていた情報の洪水が消えていることに気がつく。

自動筆記ができなくなる前兆は、そういうふうにして始まった。
脳の機能に、何らかの不具合が生じたせいだったらしい、ということを理解したのは、ずいぶん後になってからだ

頭の中をいつも流れていた言葉が止まっていた。
頭の中を勝手に流れていた音楽も聞こえなくなった。
何かを思い浮かべるたびに、再生されていた映像も消えた。
会話を思い出すときに使う、音声再生もおきなくなった。
目に入る文章の全てが脳に勝手にダウンロードされることもなくなった。
いつも頭の中にあったはずの、情報の洪水の殆どが消えていた。
原稿用紙を前にしているわけでもないのに。


頭の中の情報の洪水が消えただけではない。
気がつくと、誰もがそれに頼って生きているはずの、自動、半自動に動作するはずの機能の多くが支障をきたしていた。

まっすぐ立つとか、歩くとか、自転車に乗るとか、運転するとか、食べるとか、会話するとか、表情を読むとか、次に起こるであろうことを無意識に想定する、とか。
そういうあらゆるすべてのことが、一つ一つの動作を考えながらでないとできなくなっていた。

歩くときには、右足と左足を交互に出すことを常時意識していなければならない、みたいな状態だった。
比喩じゃなくてマジで。


文章は書けなくなった。
読書感想文のための原稿用紙を前にしたときみたいに、一文字も。

すぐには困らなかった。
こんな事態は慣れっこだったからだ。
宿題や課題を前に、何も書けない、思いつかないのはいつものことである。
頭になにも浮かばない状況下で、何らかのレポートを課されたときに、なんとかごまかす程度のノウハウは、人生のなかでとっくに身につけてある。

ちょっと大変といえば大変だが、現状わりと何とかなっているし、まあ色々破綻もあるけど、致命的なミスは今のところ避けているし、そんなに困ってもいないし。まあ、休めば大丈夫だろう。
と思っていた。


2,

なんとなく困り始めたのは、いつまでたっても、あの洪水が戻ってこないことに気づいてからだ。
僕はあの洪水に振り回されるのと同じぐらい、それに頼って生きていた。

何も頭に浮かばない状態をごまかすことは、矛盾して聞こえるかもしれないが、相当に頭を使う。
気力も知力も体力もゴリゴリと削られる。
とりわけ苦手な”意識的な思考”を、常時し続けなければならなくなったことは、めちゃくちゃにしんどかった。

思考の洪水がおこらなくなる一方で、身体的な状態や、身の回りの状況は常に大嵐という感覚だった。
常時異常に疲労していた。
なんだかわからんがいつもやたらと忙しくて、なにをしてもめちゃくちゃに疲れるな、と思うようになった。
歩くのにも飯を食うにも、支障がおきるような状態になっているのだから当然だが、自分の身に何か深刻かつ不可逆的な問題が起きている可能性には、あまり気づいていなかった。
休めば治ると思っていた。


洪水が起きなくなった一方で、言語化されなくなった感情や感覚は、水面下に澱のように凝り始める。
そもそも、脳の洪水を引き起こす『思考の意識的なコントロールのできなさ』が消えたわけではない。
雨が降らなくなって、一時的に水が枯れているような状態だった。

にもかかわらず、あの洪水が戻ってくれば書けるようになるだろうと、漠然と信じていた。
もともと、深く考える習慣がないので、無駄に楽観的なのである。


3,

それから10年以上たったが、まだあの頃と同じようには書けない。

情報の洪水は少しづつ起きるようになったが、いざ言語化してみようと思ったら、全く書けなくなっていた。

久しぶりにダムの放水が始まったと思ったら、上流では台風かなにかが起きていたらしい。
泥水が、大量の倒木や土砂を含んで流れてきた、という感じだった。全くの混沌。何を考えているのか、感じているのか、自分でもよくわからない。
そのうえ、長年メンテナンスを怠っていた河川は堤防が壊れていたり、水路がふさがっていたりで、惨憺たる有様だった。
たくさんの瓦礫と嵐でバラバラにされた思考の断片は、いくら書き出しても、文章として形を成さなかった。
何で文章になっていないのか不思議に思い、読める形にしようと試みたが、どうしたらそれが文章になるのか、どうしてもわからなかった。

語彙力は死んでいた。
比喩ではなく死んでいた。
一切、言葉らしい言葉が浮かんでこないのである。

頭の中にある膨大な情報とを、何とか頭の外に追い出そうと、必死で言語化を試みても、進次郎構文みたいな文章しか出てこなかった。
いわゆるネット構文のような定型表現を使えば、確かに文章らしきものを生成することはできたが、いまひとつちゃんと出力できた気がしなかった。
これは自分が本当に思っていることではないな、ということはさすがにわかった。


4、

他の人は、ちゃんと頭で考えて文章を書けるらしいぞ、ということにこのあたりでやっと気が付く。
どうやら世の中の人々の多くは、論理だてて考えて、言葉を選んで、文章を書くなどということができるらしい。
すごくないか?
めちゃくちゃすごくないか?
いったい人生のどこでどうやってそんな能力を身につけたんだ。
そんな能力を身につけるような普遍的な機会、どっかにあったっけ?
そこで思い当たる。
日記。作文。感想文。
そういえば自分はそれを、できるようにならないまま大人になった。

というかそもそも。
多くの人間は『意識的に考えて』いるらしい、ということが分かってきた。
意識的に考える、ということが実はいまだに、いまひとつ、よくわからない。
未だに自分の思考のベースは、洪水か、無か、である。
あとは、なんとか状況をごまかすために絞り出す、思考とは程遠いコピペみたいな何かである。

ともかく、思考をまともに言語化できないままでは、人生のいろいろな部分で支障が起こる。
リハビリするしかねえなということだけは確かだった。
継続的に何らかの訓練なり努力なりをする、みたいなことは、自分が最も苦手とすることの一つでもあったので、言うのは簡単だがやるのは極めてハードルが高い。
noteに登録して、中身があろうがなかろうが、何かしらを書くようにし始めたのは、そういうことである。
プロフィールでいうところの”リハビリ”は、要するにこのリハビリのことだ。
思考を意識的に言語化する訓練を、ともかくやらなければならない。


5,

最後に、この文章の存在理由を否定するようなことを平気で書くんだけど、正直今回の文章は書いていて、半分ぐらいは件の自動筆記の感覚だった。
脳内麻薬みたいなものがガンガン出て、自分が文章の自動出力装置になっているあの感覚ですわ。
あの自動筆記の感覚ね、割とハイな感じなんですよ。脳内麻薬じゃぶじゃぶ出てんなって感じなんですよ。
あーこれ、そうそうこれこれ、やっべえな、と思いながら書いた。
思考を完全に放棄しているし、なんなら水虫の治療がうまくいくかどうかを心配しながらこの文章を書いた。
だから今この文章を書きながら、すごく気分がいいし割と断言できる。
失った機能を訓練で再獲得することは、おそらく可能だ。

失う前とまったく同じものではないだろうし、全てが思い通りとはいかないけれど。

正直に言えば。
はじめの1時間ぐらいは確かにこのノリで、文章の半分以上を一気に書き上げたけれど、昼飯のために途中で中断し、感覚を見失い始めたら、途端に7時間ぐらいかけて迷走する羽目になった。
7時間ぐらいかけて書いた内容の部分は、趣旨からぶれてたせいで、結局ほぼ全部消したし。
頭に浮かぶことを勝手に書いていたときの方が、よほど文章の完成度が高いし早いのは、完全にあの感じを思い起こさせる。
以前よりはずっとたくさん手直しが必要だったにしても。


ともあれ。
地味に訓練し続けたことに、意味があったかもしれない、と思えたことが大事だよな。

これはもう、自分に言い聞かせるために言うんだけど。
希望はあるぞ。

金銭を与えると確実にえさ代になります。内訳はだいたい、本とコーヒーとおやつです。