自分の限界を認め、受け入れること

こんばんは、もりぱんです。
最近はTwitterでほとんど「おはよう」しか言ってません🌞久しぶりに「こんばんは」と言った気がしました。

今日は「自分の限界を認め受け入れること」について書いていきます。読み返したらなんかめっちゃポエム。ポエム、ポエム。

大きく変わったチーム体制、役割

6月に所属しているチーム体制に大きな変更があり、自分はマーケティングの役割を担うことになった。元々、小さなチームだったけど、さらにコンパクトになり、「よし、やってやろう」という気持ちでいっぱいだった。昔からピンチは嫌いじゃなかった。これまで取り組んだことがない業務を手一杯に持って、意気揚々と毎日仕事をしていた。でも気がつくと自分が何とかしないと、自分がなんとかしないと、という「自分・自分症候群」に陥っていた。この症候群が結構厄介で、人に頼るという大事な選択肢を思考の彼方へと追いやり、周りから差し伸べられた手を剣と捉えてしまう世界を作っていった。本当に厄介だ。厄介なことは続く。色々とイベントが重なり、さらにチームはコンパクトになった。積み重なり終わらないタスクと対峙した。無限テトリス状態だ。自分は、まだいける、まだいける、まだいけると自己暗示をかけていた。その時は、先輩から大丈夫?と聞かれても「大丈夫です!」としか答えていなかったような気がする。今思うと大丈夫じゃなかった。

言えなかった「つらい」の一言

そんな時、チーム外のマネージャと1on1をする時間があった。月に1回この時間は心から楽しみにしている時間だった。いつも通り「今日の天気はどんな感じ?」という質問から始まった。いつもは「晴れor曇り」と答えていたけど、「土砂降りです」と答えた。土砂降りってなんやねん。と思いながら、今、感じていることや現状の業務を一通り話をした後にマネージャーが言った。「辛いのかな?」と。その時「あっ自分は辛かったんだ」と思ったら、涙がポロポロと出てきた。なぜか止まらなかった、会議室でパソコンに向かって泣く男性。すする鼻水、こぼれる涙。うける。いや、うけない。ひとしきり泣いたら、すっきりした。

自分は結構無理をする癖がある。本当に嫌いなこの癖は、頑張れない、頑張らない自分には居場所がない、価値がないという信念が作り上げた大いなる産物である。調子が良い時は気にならないけど、調子が悪くなると、どんどん自分で自分の首を絞めていく。やめてほしい。

今回も例の通り自分で自分の首を絞めていた。けど苦しいな。とすら感じなかった。解けたときに初めて気づいた、苦しかったんだと。解いてくれたマネージャーには本当に感謝している。圧倒的感謝。

無力であると感じている時ほど、無力であることを受け入れたくないのかもしれない。限界を感じている時ほど、限界を受け入れたくないのかもしれないな、と感じた。

自分の限界を認め、受け入れること

チーム外のマネージャーとの1on1の時間の後、すっきりしたのは、自分が限界だったことを受け入れられたからかもしれない。人間に限界なんてない!!!と声高に叫ぶ人はいる(昔の自分もそうだった)が、限界はある。と今は感じる。だけど、これは諦めではない。自分の限界を知り、認め、受け入れるからこそ、その限界を超えよう。という健全な勇気が湧いてくるのかなと感じる。

血を出しながら、「全軍、前へ進めーー!」と前に進むことだけが勇気ではないのかなと。時には血が出ていることに気づき、止血し、一歩一歩前に進むことも勇気なのかもしれない。

さて、これから、どうするか。

オチがすごく難しい。本当にオチがない。もし読んでくれた人で、ちょっと最近しんどいなとか感じている人がいたら、「つらい」と外に出してみると良いかもしれない。案外、人は優しくて、案外、自分が一番自分に優しくないことに気づくし、自分に優しくすること(甘やかすこととは違うかなかなと思うけど)は人に優しくなれるための第一歩なのかもしれない。

おやすみなさい。


この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?