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再掲:友達に伝えたかった「終わりなき旅」

「今日は彼の命日か。」
朝目覚めた時に思いました。私はいつまでこうやって彼の事を思い出すのだろう。思い出さなくなる日が来るのだろうか…。そう思って再掲します。

*少し重い内容です。(自死について書いてます)

Mr.Childrenの「終わりなき旅」を聴くと思い出す人がいる。

その人が好きな曲だった、その人が歌ってた…という訳ではないのに思い出す。

彼は高校時代の同級生。同じ吹奏楽部で頑張った仲間の1人だ。とても賢くて努力家で、尊敬できる友人だった。

彼は2017年の夏、自ら命を絶ってしまった。

その年はミスチルのデビュー25周年で私は大阪のLIVEに参加した。
その日の最後の曲が「終わりなき旅」で、もともと大好きな曲だった私はその日、「歌ってほしいな〜」と思っていた。最後の最後に聴けた時は嬉しくて、辛いことがあっても頑張ろうと思えた。
不思議とこの時、ウルウルしながら脳裏に彼のことがよぎっていた。

実はこの時には既に彼は亡くなっていて、彼の訃報を知ったのはそれから1週間程後のことだったけど、その時理由を聞く前から何となく病気や事故ではないだろうなと思った。

そして詳細を聞いた時、私はショックとか、悲しいという感情よりも前に腹が立った。
人の死を前に腹を立てるなんておかしいかもしれないけれど「自ら命を絶つ」という選択が許せなかった。
命を絶つ程の理由があったのだと思う。でも「生きる」という選択肢は彼に無かったのだろうか。

そして、彼を引き止めてくれる音楽が側に無かったのか、「終わりなき旅」のような。と本気で思った。


自死についての議論の時、「生きたくても生きられない人がいる(だから生きるべきだ)」という意見が出る。
私はまさにそう思ったし、死ぬんだったらその健康な身体を私にちょうだいよ!と思った。視界良好なその目を、自由に運動できるその心臓を、歩いたり走ったりできるその足を私にちょうだいよ!と。

告別式に一緒に参列した友達の1人は「命の終わりを自分で決めたことを尊重したい」と言ったけど、まったく受け入れることができなかった。

「命の終わり」は自分で決めるべきことなのだろうか?そんな権利、あるのだろうか?

私はそんなの無いと思う。
「命」も「体」も自分で生み出した訳ではないのに、自分の勝手で終わらせることなんて認められないと思う。
こんな話をすると「神様が…」とかいう宗教的な話になりそうだけど、そんな話をしたい訳ではない。
ただ、色んな病気になる度に私は病気と闘う事を選び、病気と一緒に生きる道を今も歩んでいる。

彼はこんな私を「往生際が悪いなぁ」と空から眺めているかもしれない。
でも乳がんになった時も、再発転移が分かった今も、私は「終わりなき旅」と彼のことを思い出し、しぶとく生きると決めた。

今年の夏も何度もラジオから「終わりなき旅」が流れてきて、その度に彼を思い出し、彼の分まで諦めずに生きようと思った。

きっとこの先もずっと、「終わりなき旅」と彼は私の生きる糧となる。

https://youtu.be/QCiERL2m3Ss

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