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読切小説/狸の話_20210630

「たーぬきさん、たーぬきさん、遊びませんか」

遠くから間の抜けた韻を踏んだ歌が聞こえる、どうやら阿呆がおるらしい。俺は今、孤高を楽しんでいるのだ、なぜ人間と遊ばねばならん。だいたい、散々我ら一族を虐げて時に無惨に肉片にせしめるかたわらで、平然と遊びましょうなどと撫で声をかけるとは、人間とはどこまで傲慢でモノの理を越えた存在であろうか。俺は自分に向けられているであろう声に「僕は、遊びません!」と丁重に断りを入れておいた。しかし、人間の耳には狸が「ぴー」と鳴いたとしか聞こえないのだが。

人間は「返事をしたぞ!ほら、早くこっちへおいで!」とはしゃいでいる。違う、俺は返事はした、確かに返事はしたけれど、断りを入れたのだ、俺がもう一度ぴーと鳴いて「だから僕は、遊びませんって!」と改めて答えると、人間は「そうだ!早く、早く!」と益々勘違いしてはしゃいでいる。どうやら、相当な阿呆のようだ。

今しがたの言動以外にも、この人間が阿呆な理由を言ってやろう。人間というものは、日が上ってから沈むまで仕事というものをしているのだ。そのため朝と夕には仕事に向かう車の量が増えるので狸一族にとっては危険な時間になるのだ。「だから気をつけるんだよお」と俺は爺さんから良く聞かされた。ちなみにこの場所を俺に教えたのも爺さんで、爺さんはある日ふらりと出かけてそのまま帰ってこなかった、2年前の西日差し込む春の日の頃であった。つまり、普通ならば仕事をしている時間にフラフラしながら終いには狸と遊びたがる人間というのは、どう考えても阿呆なのだ。

俺はここを『哲学の道』と呼んでいる。車も人間もおらず、なぜか綺麗に草が除かれているので他の生き物も来ない。だから俺はひとり思案に耽りながら孤高を楽しみたいときにこの道を歩く。特に思案することがなかったとしても、難しい顔をしながら歩いていると自分が特別な狸になった気がする、きっと側からみたらカッコいい気がする。

そういえば、前にもここに阿保の人間がいた。その人間はここで肉片となった。情報通の狸仲間の話では、自分から進んで肉片になったらしい、人間界ではそういう自らを殺す行為があるのだそうだ。俺はその時、この狸仲間に誘われて、近くの丘から様子を覗いてみた。すると何十人もの人間が集まって、大騒ぎをしていた。わざわざ一帯を黄色い紐で囲って、囲いの外にも覗き見たり手を合わせたりする人間がいて、この土地でこんなに大勢の人間が集まるなんて、なんだか祭りでもしているようだった。俺の感想としては、たかが一匹死んだくらいで大袈裟過ぎると思う。生き物は何でもかんでも死ぬのだ、だからこうして代々産み増えているのではないか、一匹死んだって、そんなの設定の範囲内である。なのに人間がそうやって必要以上に生きる意味を探すから、川は汚れ、空は霞み、森は削られ、狸の住処は激減した、本当に迷惑な話だと思う。しかしやはり、自らを殺す気持ちというのは分からないので考えもしないが、肉片になることを選ぶというのは阿呆であるとしか考えられない。狸界では最も避けたい死因ナンバーワンが肉片になることである、それに対して人間界は誠に奇怪で阿呆の多い世界だ。

俺がそんな昔話を思い出しながらかっこよく歩いていると、先ほどの人間が今まで以上に騒ぎ出した。

「早く!早く!このバカ狸!おーおおい!早く・・・」

とうとう気が狂ったのか、この人間もじきに肉片になるのかもしれんなと思いながら、俺は振り返って可哀想な生き物を眺めて見たが、相変わらず阿呆の極みといった様子でこっちに向かって何かを叫んでいた。俺はしばらく哀れみながら阿呆の最後の姿を見ていたが、しかしなんだか不思議なことに、気がつくと声が聞こえない。俺は阿呆が声を失ったのかと思ったが、なんだかおかしいと感じて耳を澄ませてみると、阿保の声をかき消すように聞いたことのない地響きが一定のリズムを刻んでいた。その地響きはものすごい速さで俺に近づき、そして重なった。

電車、というものが俺の上を通りすぎたらしい。俺はしばらく動けなかった。身を縮めてプルプルと震えていると、阿呆が近づいてきて、そして俺の首をつかんで、ぽいっと茂みに投げ込んだ。俺はしばらく茂みでコロコロしていたが、次第に腹が減ったので森へ帰ることにした。



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