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読切小説/それぞれの花火_20210811

「ドーン」

ヘッドフォンの外から聞こえた衝撃音に、私は打ち込みの手を止めた。私の中のKuRuMiが、『お祭りは中止だけど花火だけは上がるんだよ』と、可愛い声で教えてくれる。そっか、今日だったっけ。

今年の祭りは、疫病の流行で中止になった。去年の祭りも、同じ理由で中止になった。去年の中止は、それはそれは大ごとで、大人も子供もこの世の終わりのように嘆いていた気がする。でも今年は誰もが当たり前のように受け止めていて、私は2年続いた祭りの中止よりも、人がそれまでの当たり前を意外と簡単に手放してしまうことが、ショックだった。

決まった格好をして学校へ行かないといけないことも、SNSの世界ばかりに居ては怒られることも、今では当たり前ではなくなった。だったら、今までの当たり前は何だったんだろう。そのためにかけられた労力や、押し殺されてきたものは、何だったんだろう。そう思うのは正しいのかな、間違ってるのかな、どっちが当たり前なんだろう。

当たり前の天地がひっくり返った新世界は、私にとっては生きやすい。私はこのデジタル画面越しの新世界がずっと続いてほしいような気がする。でも連日繰り返されるニュースを見て、そうなったら苦しむ世界があるのも分かっている。だから絶対に口には出さない。もしうっかり口に出したら、きっと私は世界中から悪者にされてしまう。

「ドーン」「ドンドーン」

花火の打ち上げ場所は人が集まるのを防ぐために秘密にされているらしい。私はヘッドフォンをずらして、無意識に音の方角に検討をつけてみる。

本当のことを言うと、私は祭りが怖かった。周りはみんな、誰と行くとか、何を着ていくとか、そういう話題で楽しそうで、本当は行きたくないと思っている自分だけがすごく間違った人間のような気がしていた。それでいて、祭りに行かないのはもっと怖かった。だって翌日の教室は、新しい世界になっているから。前夜、祭りの喧騒をくぐった人間だけが入れる新しい世界が、翌朝の教室には広がっている。私にとって、見上げる花火は綺麗なものでも何でもなくて、大空を塞ぐ『君は正常』という乱暴な承認。

正しく生きたいだけなのに、他人と同じようにすればするほど、他人と自分は違うんだということが分かった。やがて私は、仮面と偽名を使ったSNSの世界でしか生きられなくなった。

shinichiは私の投稿によく「いいね」を押してくれていた。いつの間にか友達になって、私の作った楽曲を部内のテーマソングにしたいと言ってくれた。現実世界では野球部のキャプテンをしているらしいshinichiが、私の音楽に興味を持ってくれるなんて意外だった。そういう人は、もっと遠くの世界にいると思ってたから。せっかくだからオリジナルを作るよと言って、参考に部活の写真を送ってもらった。写真には、私と同年代の男の子たちが本物の汗をかきながら砂にまみれて笑っていた。そしたら急に、この子たちも歓声の中で試合できたらよかったのにな、なんて気持ちになって、当たり前を取り上げた疫病が憎らしくなった。

shinichiとの関わりをきっかけに友達になっていたKuRuMiという子からメッセージをもらった。私の作った楽曲にのせて歌を歌いたいという。KuRuMiは歌い手として発信をしていて、現実世界では軽音楽部でバンドをしている。アイコンの中のKuRuMiはキラキラした青春の代表みたいな可愛い子。なのに、やり取りしてみるとすごく話しやすくて、私はすぐにKuRuMiが大好きになった。KuRuMiは私に教えてくれた『お祭りは中止だけど花火だけは上がるんだよ』。せっかくだからオリジナルを作るよと言って、私はKuRuMiをイメージした曲を作った。KuRuMiはとっても喜びながら、可愛くて切ない声で、会えない恋人たちの歌を歌ってくれた。

私とKuRuMiの共作を、shinichiと野球部の子たちが様々な世界に向けて共有してくれた。おかげで、それまで何の繋がりもなかった人たちからも「いいね」やコメントが来るようになった。曲に共感してくれた人たちのコメントを読んでいるうちに、私は祭りが中止になったことが、とても残念なことのように思えてきた。

「ドーン」「ドンドーン」「ドーン」「ドンドーン」

窓の外では花火が上がり続けている。私は曲の打ち込み画面を切り替えて、SNSを開いた。現実の花火は苦しい記憶がよみがえる、早く違う世界に行きたい。

いつものように画面を開けて、私は違和感で目を止めた。信じられないことに、私とくるみの共作がすごい勢いで再生されている。

追ってみると、どうやら大勢の人がSNSで花火の写真と一緒に私たちの楽曲をアップしているらしい。タイムラインには次々と、花火の写真と一緒に私たちの曲がながれてくる。

気がつくと私は、窓から目一杯伸ばした手で、何とかスマホのシャッターを押していた。見切れてブレた花火の写真は、私が間違いなく世界に存在していることを証明していた。

その日、私の世界は何万発もの花火で溢れた。ビルで半分隠れているものもあれば、遠くの方にかすかに見える程度のものもある。誰かの世界に合わせたんじゃない、みんな自分の世界から撮った花火だった。


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