とうとう不登校になった長男

起立性調節障害フォーラムに参加 の続きです。

長男は中2の2学期を迎えていました。

月に2-3度だった欠席も、中2に入るころからなんとなく増えて行き、本人が望めば、学校の近くまで、朝、車で送ることもありました。学校に行きさえすれば、夕方にはそれなりに元気になって帰ってくる。だからなんとか登校してほしいと思っていました。

それでも、朝、リビングに降りてきて、頭が痛くてうずくまってしまう長男を見ると、本当に学校に行くことがいいことなのか、親として迷いました。毎日ロキソニンを飲んで、なんとか頭痛を抑えて登校することが、本当に長男のためになっているのか。

それが終わったのが、中2の10月。中間テストの日に欠席してしまったのです。それまで、なんとかテストだけは意地でも受けていた長男にとって、心折れる出来事だったのでしょう。そこからぱったりと学校に行けなくなってしまいました。

1日中寝ている長男は、ご飯も1食、2食の日もあり、一日中パジャマでした。それまで制服のシャツやジャージなど、毎日たくさんあった洗濯が、パジャマだけになってしまった。洗濯物を干しながら、泣きました。とてつもなく悲しかった。

近所を車で走っていると、目につくのは長男の学校の生徒たち。同じ色のジャージを見て、運転しながら涙が出てきます。どうして長男は、あの中にいないんだろう・・・どうして?どうして?

1年たった今でも、思い出すと涙が出てきます。でも、長男が休みはじめて、何週間かたったとき、気づいたんです。寝ている時の長男の顔が、とっても穏やかだということに。

学校に通っている時は、寝ている時もなんだか苦しそうでした。たぶん、彼の中にも「学校に行かなきゃいけないのに、休んでいる自分」という葛藤があったのだと思います。

でも、学校にもう行かなくなってから数週間後には、なんとなく穏やかに眠るようになったのです。朝、起きなくてはならないというプレッシャーからも解放されて、好きな時に好きなだけ眠っていい状況になると、朝無理やり起きなくていいので、頭痛も少し良くなりました。

小学校の時から通っている地元の個人塾は、夜、体調のいい時だけ通いました。学校は行けなくても、塾は通えていたので、引きこもりじゃないからいいか、と思えました。

塾長先生に相談すると「たぶん長男くんには、いまの地元の公立中学は合わなかったんでしょうね」と言われました。起立性という体調もあったけれど、中学での人間関係もあまりよくなかったようです。後から長男が少しだけ話してくれたけど、イジメにもあっていたようなのです。

地元の公立中学は、本当に旧態依然の学校で、先生が理不尽だと感じることもたくさんあったし、イジメ問題でマスコミに取り上げられたりもしている学校でした。

長男は、小さいころからちょっと大人びているというのか、悪く言えば枯れているというのか、あまり子供っぽさがない子でした。「なんで家に帰ってからもLINEで話すことあるの?友達なんてたくさんいたってつき合えないじゃん」みたいなことを言っちゃう子だったので、同級生と合わなかったのかな、と思います。

塾の先生に「学校が合わなかった」と言われて、「あーそっか、合わなかっただけなんだ」って思った時、すーっとしたのを覚えています。大人だって合わない会社は辞めるのに、子供は学校を変えることが難しいのって、なんだか理不尽だよねって。

そこから、私は「合わない学校だったら、わざわざ行かなくてもいい。体調を第一に、好きなことやればいいじゃん」って、腹をくくったのでした。

学校に行かないという選択をし、やっと少し落ち着いてきた12月、夫に癌がみつかり、またまた家族は嵐の中に投げ出されていきます。


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