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転先生 第6話

地天叉は朝を颯爽と駆ける。
知らぬ児童の群れを飛び越え、蝉の歌声にベルを合わせる。どんどん地天叉は風に乗って速度を上げる。そのままアスファルトに咲くたんぽぽをひらりと躱し、前方の電車に向かい挨拶を交わす。

僕は何一つ怖くはない

目線の向こうにセブンイレブンが見えてきた。僕は目的地への到着を予感し、地天叉の二本の角を引く。
静かに降り立つコンクリートの大地。
集団登校十分前の静かな十字路。道の先に微かに黄色い集団が見える。

さあ始めよう、新しい僕を

暫く歩くと、学校の門前にはいつも通り校長先生が児童を待つ姿があった。道行く人、全てに挨拶をするその姿は遠目からでもはっきりと見える。
僕はいつもより数歩手前でいつもより少し大きく声を出す。

(スキル 挨拶レベル一発動)

ぎこちない僕の声。校長先生は少しだけ目元を緩め、口を開く。

(スキル 挨拶レベル?が発動されました)


そこまで声量は変わらない筈なのに一瞬たじろいでしまう僕。僕の背中越しで校長先生はまた道ゆく人に声を掛けてゆく。

職員室に入り、急いで手荷物を置いた僕は本館東の下足場へと向かう。朝早くから登校する児童に顔を出すのも先生の仕事だ。
登校予定の8時10分、5分前から児童等はぞろぞろと校門を潜る。僕の担当する本館東の下足場は2.4.6学年の児童が靴を履き替えに来る。学年が上がる毎に俯きながら登校してくる児童達。児童達は歳を重ねる毎に前学年に何か大切な物を一つずつ置き忘れている気がする。

おはようございます

児童等の声が聞こえてくる。

(スキル 挨拶レベル一発動)

(スキル 挨拶レベル一発動)

(スキル 挨拶レベル一発動)

誰とも知らぬ児童等に挨拶を飛ばしてゆく。顔も覚えていない児童等は僕にとってはただの他人。しかし、児童等はまるで僕の事を恩師か何かに勘違いした様な畏まった礼をする。その屈託の無い純粋さに後ろめたさを感じはするが、他人な僕を利用し話しかけてみた。

「ね、子どもにとっての弱点って何があると思う?」

クラスへと行く前のリハビリと目から鱗な何かを期待しての声掛け。そのまま不審者の様な言葉である。しかし、ある程度の関わりはコミュニケーションの一環になってしまうのが先生の特権。
そんな僕に向日葵の様な笑顔で児童は言葉を返す。

「んー、僕のくすぐったいところはね。少ないんだよ」

誰もくすぐったい所など聞いていない。

「えーっとね、わきとせなかとくびと……」

くすぐったい箇所は少ないのではなかったのか。子どもの思考回路は本当に理解出来ない。

(ピロン 児童理解のレベルがニに上がりした)

朝の児童対応が終わり、職員室へと戻る僕。職員室では管理職の電話がひっきりなしに鳴り響いている。夏休み明け最初の一日の朝は不登校最多になるのが学校の常であるからだ。目を回す管理職。しかし、他の先生達も朝の準備に忙しく電話対応まで手が回っていない。
僕も他の先生達と同様に教室へと向かう準備をする。他の先生達と違い、準備こそ少ないが、手荷物の数は最も多いのだ。夏休みで作り続けた教具が紙袋に薄い亀裂を生んでいる。
そんな僕に少し生温かい目を向ける教務の先生が、電話と電話の合間に声を掛けてきた。

「谷口先生、今日浜田と新田休みですよ」

そうか休みは二人なのか。意外と少ない朝の報告に僕は目を少し見開く。
そう言えば、この学校の校風は真面目であった。なんせ生指の目標は(攻めの生徒指導)と言うくらいだ。
そんな学校で半学級崩壊を起こしている自分が余計に惨めに感じる。
しかし、こんな当たり前の事実に折れない自分に変わると決めたのだ。

(スキル 笑顔レベル一発動)

初めて使う笑顔のスキルは、僕を気遣う教務の先生と奮い立たせるための自分に発動した。

    キーンコーンカーンコーン

チャイムの音が久しぶりに学校に鳴り響く。
職員室に残る担当の先生達も蜘蛛の子を散らす様に職員室から消えてゆく。
一ヶ月待っていたこの時間。心臓の巨大な爆音を誤魔化す様に僕は階段を力強く駆け上がる。

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