きよっちゃんジャーナル、なぜにきよっちゃんは、コミュニズムに、ちかずいたか?

嗚呼、きよっちゃんの人類の大問題、差別と平等に、ついて、考える。
きよっちゃん暦64年 令和4年3月11日。
とゆうか、みなさん、現在でも、この日本で、部落差別が、ありますかね?
なんで、こんなこと、ゆうかと、ゆうと、今年、水平社、日本共産党、ともに、創立100年。
共産党に、ついては、1975年から、1991年まで、所属していた、こと、あって、それも、ヒラ党員では、なく、府県段階や、けど、
日本共産党京都府員会勤務員、赤旗京都分室記者として、職業革命家を「85年から、89年まで」おったんで、まー、それなりに、体験的に、語れるんですが、
部落問題、とゆうか、水平社の後継の部落解放同盟に、ついては、共産党と敵対していたし、部落民として、生まれてないし、生まれて、育った、
神戸、姫路には、部落は、あったんですが、噂に、聞いたり、学校で、映画上映の同和教育?を受けた程度、ねーー。
でーも、きよっちゃんが、日本共産党と出会うきっかけは、この部落同和問題だったんですよーー。
そのためには、時計の針を、1974年まで、戻して、ください、ねー。
そのとき、きよっちゃん、姫路工業高校の工業化学科の2年でしたー、1年で、やってた、柔道部を、夏休みで、バイトするので、辞めて、
一人しか、いない、図書部に、はいり、本好きだったので、図書館と部室を、ねじろに、して、本を、乱読。
その時に、遭遇した、あーの小田実の「何でも見てやろう」を、読んで、知らないひとは、検索、ね。
この本読んで、世界を、放浪したい、と、アホのきよっちゃんは、考えたんだ。東大生のオダが、フルブライト留学で、アメリカ、メヒコ、その留学からの帰りに、亜細亜、印度を、他人のゼニ、アメリカのゼニで、旅できた、ま、エリートだから、できたんやけど、大阪人の関西弁のユーモアと、ちょっと、カーブか、フォークのような、突っ込み型が、ストレートじゃーないので、当時は、おもろく、感じ、オレも、世界放浪だーー、と高校を、中退しちまった、のよーーーー。アホや、なー。もし、タイムマシンが、あったら、あの時に、帰り、おい、きよし少年、高校卒業してから、どっか、就職して、ゼニ貯めるか、その時も、あった、海外青年協力隊に応募して、海外に、行け、とゆうでーー。ほんま、ほんま。
ま、親の反対押し切って、家を、出て、父親の紹介で、ボイラー工場で、バイト、当時の少年には、大金だった、10万円に、めーくらみ、世界の前に、日本だー、とバイト先や、親に、無断で、出奔。京都から、舞ずる経由で、フェリーで、小樽へ。
あ、その時、京都で、いまも、ある宇多野ユースに泊まり、いまは、無い市電を、見てます。乗ったのは、バス。
まー、北海道で、ウロウロしたが、ゼニが、無くなって、大阪に、流れて、読売新聞の朝夕刊配達を、住み込みで、やるように、なり、その販売所に、入っていた、赤旗新聞の記事を、見て、びっくら、こいたのが、共産党の出会いのきっかけ。それは、その販売所と赤旗の販売所が、」それぞれ、新聞を、交換で、とっていたから、で、それまで、赤旗なんて、きよっちゃん、存在知らんかった、でー。
その赤旗の記事の内容は、兵庫県の八鹿高校とゆうところで、高校の先生が、部落解放同盟に、集団で、暴行受けた事件でした。
ええ、いま、オレが、配っている、読売や、他の毎日、朝日にそんな記事ないでーーーーー。なんでよ?
よせば、いいのに、その事を、知るために、たまたま、赤旗を、住みこんでいた販売所に、配達していた、ひとに、何気に、聞いたら、赤旗の販売所を、紹介されて、いったのが、運の尽き。まーそこで、いろいろ、あって、おきまりの民青に、勧誘されて、翌年のサイゴン陥落、それと、共産党が、単独で、応援していた、黒田府政の再選選挙に参加、勝利していく、ことを、体験して、あ、共産党、共産主義、社会主義に、未来は、あるのかね?とおもって、入党したんだが、そういえば、この75年の統一地方選で、部落問題で、荒れていた、関西の首長さんで、共産党員の町長、市長、共産党が、推す首長が、多く出現したのだが、これ、部落解放同盟の、地方支配に、住民が、鬼退治には、鬼とゆうことで、選らんだ、のかなー。
と差別と平等に、ついては、書けなかったが、とゆうか、アホなので、体験的にしか、書けません。
いまのキヨッチャンの差別と平等に、ついては、詳しくは、以下次号。

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