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THE BLUE HEARTSの「ネオンサイン」をご存知でしょうか?

こんにちは、panです。

私は、人にモノを聞くのが苦手だ。

私のとっても大好きなアーティスト
【THE BLUE HEARTS】
に出会ったのは、中学3年の頃。
当時、憧れていた2つ上の先輩が、
文化祭で、バンドを組んで、【THE BLUE HEARTS】の
「リンダリンダ」
を披露してた。

超カッコ良かった。

それで、一気にアンテナを【THE BLUE HEARTS】に張った。
でも、正直、その時はまず【THE BLUE HEARTS】すら知らなかった。
そして、「リンダリンダ」も知らなかった。

でも、それを友人に聞いたりすることができなかった。
今思えばすごく簡単なことなのに。。。と思うが、
当時の自分には聞く選択肢がなかったというか、
選択肢から除外した。

そのおかげで、えらいこと時間がかかって
ようやく【THE BLUE HEARTS】にたどりつくことができた。

しかし、
次に、あの文化祭で先輩が歌っていたあの歌の曲名は?
で引っかかった。
また同じように時間がかかるわけだが、
ここで、私は結構、とんでもない博打に出る。
(しかも、この博打は1回や2回の話ではない。)
ひとまず、近くのCDショップに出かけ、
店内の【THE BLUE HEARTS】のアルバムを前にして、
あの歌の雰囲気とタイトルが合ってそうな曲を
探すわけだ。

そして、歌と言っても、
頭の中で先輩の歌っていたあの歌の歌詞なんて
全く覚えてない。
雰囲気しか思い出に残ってない。
先輩のカッコよさとその曲のインパクトしか
記憶に残ってない。

じゃあ、どうやってそもそも【THE BLUE HEARTS】にたどりついたんだ?
ということを、これを書きながら思ったりしているわけだが。

で、私は、ショッピングなどに出かけ、
服を買うときなどは、
「これでいいかな」
と思ったら、迷わず購入する。
ひょっとしたら、もっと自分に合うものがあるかもしれないが、
もう、迷うのが面倒なのか、基本的にははしごをしない。

そういう性格もあってか、
そのときに、先輩のあの歌った曲の雰囲気に合ったタイトルを
その場で見当をつけて、

購入する


わけだ。

そのときに、私が手にしたアルバムは
【THE BLUE HEARTS】の
「HIGH KICKS」
というタイトルのものだった。

その後、死ぬほど【THE BLUE HEARTS】にのめり込んでいったので、
その後で知ることになるのだが、その「HIGH KICKS」というアルバムは
ある意味、「リンダリンダ」から最も遠い位置にあるアルバムだった。

今回の投稿は【THE BLUE HEARTS】を語るのが本筋ではないので、
ここでは細かいアーティストの歴史的な側面は割愛するが、
とにかくとんでもない博打をして、
大ハズしをしてしまったわけだ。

家に帰って、ワクワクしながら、
1曲目、2曲目、3曲目、、、と聴いていくが、
一向に、あの先輩が歌っていたあの曲に出会わない。
当然だ。その曲が入ってないアルバムを買ってしまっているんだから、
どう頑張ろうと、期待しようと、最後までない。
しかも、アルバム全体としても、
「リンダリンダ」のあの勢いのある【THE BLUE HEARTS】らしさが
ぜんぜんなくって、愕然とした。
せめて、【THE BLUE HEARTS】っぽい曲に触れられると思っていたが、
「HIGH KICKS」
には、そういう勢いのある曲はなかった。
(正しくは、っぽい曲もあったが、全体的にはテンポが
 それほど速いとは思えない曲が多かったと感じた。)

そういう【THE BLUE HEARTS】との出会いがあったわけで、
その後、あれやこれやと【THE BLUE HEARTS】のことを知る中で、
ようやく「リンダリンダ」にはたどりつけた。

ただ、そういう出会いがあったことも「HIGH KICKS」には
ちょっとだけ、他のアルバムにはない「思い入れ」が発生した。
そこに「HIGH KICKS」に対する私だけの

意味


が発生した。

そして、私と「HIGH KICKS」の関係を決定づけることがあった。

私の思春期はそのように、
簡単に聞けるはずのものも、
過度なプライドが邪魔してしまってたわけで、
そのプライドが、他にもあれやこれやと自分のことを苦しめる
弊害になった。

中学3年生に奈良、京都に修学旅行に行った。
本当に思い出深い修学旅行だった。

私の過度なプライドのおかげで、
友人関係もいろいろと面倒が起こった。
基本的にはとるに足らないことで、
それほど困ったというほどのことではないのだが。

私は野球部に所属しており、
野球部は割と活発なキャラのやつが多くて、
私も例外ではなかった。
で、割と学年内のヒエラルキーも高いところに位置してたと思う。
不思議なものだが、学生時代にはそういうものは確実に存在して、
割と大きな要素を占めていた気がする。

ただ、そんな中で、私は群れで行動するのが
あまり好きではなく、
その時は、
「群れで行動するような奴らは、その程度の人間だ。」
のようなことを思っていた。
それがカッコいいと、なんとなく思っていたんだろう。
(今も、極端な考え方とか、妙に偏屈なところとかは
基本、変わってない。)

で、群れで行動するのが嫌だったから、
野球部の仲間が群れてたむろしてたりするのを
避けるように、私独自の人間関係を作ることを意地になって
頑張っていた気がする。

ちょっと周りと違う行動をすることで、
こちらに向けられる目が変わるとでも思っていたのかな?

で、そういう自分の面倒な性格が邪魔をして、
修学旅行で、班を作る際に、
とてもとても困ったことになった。
4人の班を作るのに、当時、よく行動を共にしてた友人は
2人くらいのもので、いざ班を組もうにも、
結局その2人しか選択肢がなく、
1人足りなかったのを、何とか頑張って補充して修学旅行に臨むことになった。

(あっ、ちなみに、誰かから誤解を解くつもりはないのだが、
決して、野球部の仲間と仲が悪かったわけではなく、
むしろ、今でも付き合いがあるのは、野球部の仲間くらいなもので、
その当時は、野球部の仲間は部活の時のみの人間関係として
割り切っていた。割り切る意味が今は分からないんだが。)

何をどこで間違ったのか分からないまま、
自分の班は、とてもマイナーな感じの班になっていて、
どこを行動するにも、野球部の連中がいる班が2つ3つくっついて
京都の町を自由行動している時も、
何か分からないが、その集団に出くわさないように、避けて避けて
行動してた。

そんな自分にちょっと虚しさを感じながら、
移動のバスの中でずっと聴いてたCDが
「HIGH KICKS」
だった。
そして、その「HIGH KICKS」の中の「ネオンサイン」という曲が
妙に自分のその時の虚しさに引っかかって、
修学旅行中、鬼リピートしてた気がする。

そんな当時の青春の甘酸っぱさがいっぱいの
「HIGH KICKS」の「ネオンサイン」は
今でも定期的に聴く。

私にとっての【THE BLUE HEARTS】の「HIGH KICKS」の「ネオンサイン」
は、私にしかない大きな

意味


を持つ曲になった。

そういうことって、
みんなにも、個々であると思う。

曲は曲で、歌詞が良かったり、メロディーが良かったり
好きになる理由はさまざまあるが、
思い入れのある曲は、概ね、その時の思い出をしっかり連れてきてくれる。

非代替性

という言葉を最近よく耳にするようになった。

NFTというやつだ。

曲の中にあるアーティスト云々のことも特別と言ったら特別だが、
たとえば私にとっての「ネオンサイン」の意味は
たぶん、日本人の中でトップ10くらいに入るんじゃないかな
と思えるくらい、ドデカい意味を持つ。
私にしかない価値を「ネオンサイン」は持つ。

他の人には持てない価値・意味を「ネオンサイン」に抱いている。

NFTというものは、まだまだ不勉強であるが、
例えば、ビープルのNFTアートが史上最高額の75億円で落札された
というニュースを1年半ほど前に耳にしたが、
当時はまだ意味が分からなかった。
何が起こっているんだ?
デジタルのものは、私が↑でリンクを貼れているように
簡単にコピーはできる。

でも、その画像自体は本の表紙のような意味合いしか持っていなくて、
その中にある「所有している証」こそが大きな意味を持っていて、
そこにこそ価値がある。
私自身はまだ不勉強も不勉強なので、
勉強中の自分のアウトプットのためにこの記事を書いているのだが、
正直、まだ、なぜそのような大きな額がつくのかは分かっていない。

ただ、私の好きな曲として、
「ネオンサイン」
を挙げたとして、
じゃあ、そのネオンサインのいいところを説明してください。
と言っても、説明しかねるところがある。

上記のようなストーリーは語れるが、
説明したところで、誰も私と同じ温度で「ネオンサイン」を
理解することはできないからだ。
そもそも、私が、先輩に憧れて、
間違ってアルバムを購入し、
青春時代、友人関係で思い悩んだことがなかったら、
この曲との出会いはなかったはずで、
私と「ネオンサイン」の歴史まではすべて共有することはできない。
そもそも、そんな歴史に興味を持つ人なんていないだろうし。
だからこそ、それこそが非代替性というものなんだと思う。

そこらじゅうに「ネオンサイン」はあるが、
私だけの「ネオンサイン」はこの世に1つしかない。
そこに、私だけが抱いている価値があって、
私以上の熱を持ってる人がいたとしても、
それを比べること自体も、もはや意味をなさない。

ブロックチェーン技術はまだまだまだまだ
理解するには程遠い位置にいるが、
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、
非代替性という言葉の持つ意味が分かったような気がする。

例えとして、「ネオンサイン」を挙げたが、
きちんと的を射ているかどうかは分からない。
でも、そういう【意味】に意味があることは
なんとなく分かった気がする。

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