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困難に立ち向かったという事実がもたらす自信を大事にしたい 

こんにちは、panです。

今日は、休みだというのに時間を有効に活用できなかったことに
苛立たしさを覚えそうになった瞬間に、
そこで苛立たしさを増幅させては、もっと不愉快な一日になると
ふぅ~と深呼吸をして、
イライラしない
と自分に言い聞かせることができたことを
褒めてあげたいです。


私は、ここぞという場面で
ちゃんと立ち向かうか、逃げるか
を迫られたときに、
割合にすると五分五分だなと思います。
残念な話ですが。

youtubeで、イチロー選手が女子高校選抜のチームと
交流している動画を観ました。
WBCにおいて、イチローがセンター前に決勝打を打った時の
あの瞬間の心境を赤裸々に語った、とても興味深い話でした。

イチローは
あんな状況は、他のものとは比にならないくらい
断トツ一位の平常心を保つことが難しかった場面だと
言ってました。
私には到底計り知れないことではありますが、
そこで、イチローを最後の最後に支えてくれたのが、
これまでもさまざまな困難な局面があり、
それに対して

立ち向かったということ


が自信になったと
言ってました。

結果が出た出ないではなく、

困難な局面に立ち向かった事実がある


ということが自信になったということが
私にはとても深く刺さりました。

私は、振り返ると
困難な局面を迎えたとき、
逃げの選択肢を探そうとしてしまいます。
で、立ち向かう方が、その先に何か自分を成長させてくれる
ことや、学びが必ずあることも知っているのに、
逃げることを選択することもあって
割合にすると大体五分五分という残念な実績を出しちゃってます。

学校をさぼったり、
部活をさぼったり、
会社をさぼったり、
友達との約束をすっぽかしたり。。。

今、自分の悩みの一つである、
授業においても、

【この重たい空気を変えるために勝負の一手を打っておきたい】


と何度も思ったことがありますが、
立ち向かうこともあれば、同じ割合で、
その空気を打開する手を打たずに、
重い空気のまま、終わらせることもありました。

何か手を打てば、失敗したときのリスクを考えると
その一歩を出す勇気がない。

それもこれも、
積み重ねであり、
これまで勝負に出たのが5割という事実があるから、
いざ困難を迎えた際に、
逃げの一手をまず考えてしまう自分が過去いたことが
自分の自信のなさを生んでいるんだと痛感させられました。

いつもいつも勝負勝負ではしんどいので、
たまに逃げの一手も必要だとは思います。
でも、明らかに私は逃げの一手を選ぶ頻度が高い。
だから、そんな自分に自信が持てない。
きっと逃げの一手をまた考えてしまうだろう。
だから、そういう局面に立ち会うのが怖い。

悪循環。

ここから先は自分でも書くのを戸惑い
恐怖でもあるんですが、書くことに決めました。
ちょっと不快に感じる方もいるかもしれないので、
あらかじめそういう文章になることを前置きしておきます。


私の逃げのきっかけは
私が小学3年生の頃に、妹が気分が悪くて、嘔吐してしまったところに
立ち会って、とてもショックを受けたことです。

とってもつらそう。
だから
かわいそうという妹への心配というより、
そのショッキングな出来事が自分の身に降りかかったらどうしよう。
ということをすっごく心配になったのを今でもはっきりと覚えています。

それまでは、目の前で友達が嘔吐しているのを見ても
なんっとも思わなかったのに、
妹の時に、なぜかひどくショックを受けました。

その日から、嘔吐ということが
恐怖
の対象になりました。

そして、自分がそれを恐怖と自覚したのが、
ある日、学校の給食中にクラスメイトが私の視界に入るか入らないかの
ところで、嘔吐しているらしいことを耳にしたその瞬間、
突然、その場から逃げ去りました。
わけが分からなかったです。頭が真っ白になっていました。

自分の人でなしっぷりにもがっかりしましたが、
それ以上に、その反射的に逃げるコレって何だ?
と思うようになりました。

その日から、嘔吐が
食べることにつながり、
ある時から、学校で給食を食べることができなくなりました。

でも、これを変なことだと思われたくないし、
親にも心配されたくないから、
ある時から、「panは極端に小食なやつ」というキャラになりました。
おなか一杯になることが嘔吐につながる
になり、みんなの前でそんなことが起こるのが怖くて仕方なくて、
小学3年生から6年生までずっとそんな感じで、
給食の時間はとにかく地獄でした。

給食の時間は食べることができない状況にするために
変におちゃらけるキャラになり、
時間内に結局食べることができなかったという
ことにするのに必死でした。

そんなことの積み重ねで、
どんどん嘔吐と距離を置くことで、
どんどん嘔吐への恐怖が大きくなり、
実はそうやって距離を置いていることによって
より根が深くなっているということを
後で知りました。

これを言い訳にするつもりではないですが、
でも、嘔吐につながる、
なんか体調がちょっとおかしい
くらいでも、これで学校へ行って嘔吐してしまったら
を考えると怖いにつながり、
必死に親に休むことを懇願していました。

幸か不幸か、
一度食中毒で嘔吐したことがありましたが、
(そのときは克服するチャンスと思いましたが)
それ以外は小学3年生から今まで、嘔吐はありません。

そこから派生して、大学生のときに
とうとう日常生活を普通に送るのに支障をきたし始め、
心療内科に行くことになり、
それから20数年通い続けております。

でも、いまだに克服できておらず、
冒頭でも申し上げたように、
その逃避癖がいろいろなところに現れ、
今もなお、中途半端に生き続けてきています。

こんなことを書くのはとても自分でも怖くて
やめたいのですが、
これも一つのチャンスととらえ、
このnoteを通して何か前進できるのであれば、
と思い、イチローの動画を観て
すぐにパソコンに向かい、全力で文章を書きあげました。

嘔吐への恐怖
そして、その後もとても生きづらい思いをしてきているのですが、
これ以上この話題について書くことは精神衛生上よくないと判断し、
今日はここまでにすることにします。
次、また自分の整理のために書く気分になったら書きます。


立ち向かうべき局面では
立ち向かいたい。
嘔吐への恐怖を言い訳にしたくないし、
そもそもこれが治る保証もないから、
せめて、逃げの一手よりも立ち向かう割合を増やしていこう
というほどよいハードルで、
攻めの一手を打つことの積み重ねで
自分に自信を持てるようになりたい。


少々、重たく
不快な文章に感じられた方、すみません。
でもここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
ぜんぜんネガティブな感情ではなく、
ちょっと勇気をもらったので、この勢いを大事にしたいと思ったから
書き綴ってみました。

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