見出し画像

無職になる、そして不労所得を得る

この記事を年賀状を必ず返してくれる数少ないワタシの友人たちに捧げます。


はじめに

気が向いたらnoteを書こう。

ワタシの心の声

そう考えてから何か月も経ち、ついに年が明けてしまいました。
しかし年明けで心機一転という気持ちで最近ワタシの身の回りに起こったあれこれについてつづってみようと思います。
記憶にある限りで書くのと、身バレ防止のために多少の誇張やウソも混じっている点に留意してください。

仕事を辞めた(1回目)

2023年1~3月、絶好調

2022年の10月に転職をしました。
1か月のインターンの末、業界未経験ながらIT企業(SES)に入社できました。
最初の案件はすぐに決まりました。
夜勤も残業もたくさんありましたが、とても良いチームだったおかげでなんとか乗り切れました。
派遣先の営業さんがワタシのことをいたく気に入ってくれ、次の案件にも引き抜いてくれました。

2023年4~6月、不眠

しかし、この2つ目の案件はなかなか難しい現場で(仕事の内容も、人間関係も)、悩みながら勤務していました。
だんだんと眠れぬ日が続いていき、GW明けくらいに心療内科を受診しようと考え予約までしました。
しかし、その予約はキャンセルすることになるのです。
なぜなら上司に悩みを何度か相談し、その案件を抜けることが決まったためです。
この時ワタシはそれで問題が解決するものだと思い込んでいました。

2023年7月、待機

2つ目の案件は何とか抜けられましたが、次の案件がなかなか決まりません。
ワタシの勤めていた会社では、その間も給料は出ましたが資格勉強と社内のプレゼン資料作りくらいしかやることがありませんでした。
7月中はほとんど在宅勤務で楽ではありましたが、不安な気分は続き、ちっとも心は休まりませんでした。
上司のコネで何とか次の案件が決まった時は、心底ほっとしたのを覚えています。

2023年8月、不調

ようやく決まった3つ目の案件。
しかし、業務内容がとてもつまらなかったのです。
バイトも含め今までしたすべての仕事の中で一番面白くありませんでした。
パソコンの前に座っている時間がとにかく長く感じました。
勤務するビルは10階建て以上だったため、窓ガラスを蹴破って飛び降りようと思うくらいに。
同じ会社の先輩が優しくしてくれることがせめてもの救いでした。
しかし入場して早々コロナにかかり、肉体的にも精神的にもどん底の状態になりました。
眠れないだけでなく、明日が来なければいいとさえ思っていました。
そして再び心療内科の予約を取ったのです。
下された診断は適応障害、ワタシは休職をすることになりました。

2023年9月、休職

とにかくゆっくり休みました。
処方された睡眠薬をしっかり飲み、仕事のことは考えないようにしていました。
遊びまくろうかとも思っていましたが、ワタシの心と身体はそれを拒否していました。
眠っている時間が何よりも幸せに感じ、あっという間に1日が過ぎていったことを覚えています。
ワタシはその会社でまだ1年未満しか働いていなかったため、休職できる期間は最長で1か月でした。
上司からは職場復帰を期待されていたが、ワタシは転職がしたかったのです。
他の会社に行けば、もっと自分がやりたい仕事、輝ける職場に巡り合える、そんな浅はかな考えをもっていました。
人は平常心でなければ、基本的に正しい判断ができません。
平常心で行った判断でも、時として間違うことがあるくらいです。
まして落ち込んでいるときや怒っているときには、重要な判断をするのはもってのほかなのだということを、ワタシは身をもって知ることになります。

仕事を辞めた(2回目)

2023年10月、退職代行

転職先の会社は同じようにIT企業だったが、少数精鋭で自社開発を行う会社でした。
ワタシはそこのインフラ部署に配属されることになりました。
仕事はフルリモートで、在宅勤務のみの職場でした。
通勤しなくていいのはありがたかったですが、次第に仕事とプライベートの境界線がなくなっていきます。
毎日業務に追われ、自分の知識や力量のなさになさけなくなりました。
夜遅くまで働き、プライベートの時間も仕事のことを考えるようになっていきました。
せっかく治った不眠の症状もぶり返し、満身創痍の状態になっていました。
そんなとき、頭の中にあるイメージが浮かびました。
いつもの自分なら絶対に考えないであろう、「自殺の方法」です。
その瞬間、ワタシはもう無理だと悟りました。
夜中だったものの、前にネットで見た退職代行のサービスに連絡し、その日付で辞めたい旨を申し出た。
もう上司に連絡するのすら面倒でした。
誰とも話したくなかったのです。
結果として、無事に退職することができました。
しかし、心と身体は限界を迎えていました。

2023年11月、診断

誰とも話したくなくなってからの1か月は、本当にゆっくり過ごしました。
担当のお医者さんにワタシの今までの人生について、一からゆっくりと話しました。
その結果、適応障害ではなく双極性障害との診断を受けました。
自分の病名がわかったことで、しっかりと向き合うことができ始めました。
さらに就業不可との診断も受けたため、仕事のことは考えずしばらくは治療に専念することにしました。
休んでいる中、新宿で炊き出しを受けたNPOの方に勧められ生活保護の申請を行います。
貯金もほとんどしていなかった自分にとって、金銭的な心配は治療への専念を妨げる要因となるからです。
あせりは禁物、油断大敵ですね。

不労所得を得る。

2023年12月、生活保護開始

ついに生活保護を受けることになりました。
生活保護申請するためには書類などの準備が必要です。
幸いお役所的な手続きをするのが得意なワタシはクリアできましたが、一般的に心が弱っている人が単独で行うのは難しいと感じました。
貯金や株、不動産などの資産を持っていなかったことがスムーズに進んだ要因です。
これで晴れて、不労所得収入だけで生活できるようになりました。
アパートの家賃もなんとか払えているため、今のところ衣食住には困っていません。
毎日図書館に行って本を読んだり、アマプラで映画を観たりして過ごしています。
また散歩もお金のかからない趣味なので続けています。
気づいたら3駅分くらい歩いているときもあり、なかなか楽しいです。
その途中、安物のフィルムカメラでボケた写真を撮るのも楽しんでいます。(ちなみにこの記事で使っている写真もそのカメラで撮ったものだ)
それから一番大切な趣味として、カードゲームMagic:The Gatheringもカジュアルに楽しんでいます。

2024年を迎えて

2024年を迎えた瞬間、ワタシは有楽町駅にいました。
友人の家で数日寝泊りをし、友人が実家に帰るというのでそこを後にしました。
そのあと上野や秋葉原、東京駅を経て歩いて有楽町駅に来たのでした。
歩いていたので、寒空の下とはいえさほど寒くはありませんでした。
特に目的もなく歩いていたが、ふと実家に帰りたくなりました。
2023年大晦日~2024年元旦にかけては、JR線の一部路線で終夜運転をしていたため、なんとか夜が明ける前に実家にたどりつけました。
実家では祖母がまだ起きており、風呂を沸かしてくれました。
寒くないと思い込んでいた身体も風呂につかった瞬間温まるのを感じました。
「風呂は命の洗濯」とは、よく言ったものですね。
そしてふかふかの布団であったかくして就寝。
2023年の自分をやっと受け入れられた気がしました。

noteでは、今までほとんど記事を書いたことがありませんでした。
いつも誰かの記事を読んでは楽しませてもらっていました。
そんなワタシの人生に起こった、少しの変化を記事にすることで自分と同じような境遇にいる人、仕事を辞めようか悩んでいる人たちの助けになればと思います。

最後に一つだけ。
人生は空しく、苦しい。
それを理解した上で楽しむのだ、今日という日を。
END

ぜひサポートを。いただいたサポートはnoteを考えるときに吸うたばこ代に使わせてもらいます。