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女子力・・・幸せなひとは決して読んではいけません💕その2

前回は、女子力というものがない女性である自分が、いかに女子力のある女性にお祝い金やその類いをしぼりとられてきたかの恨み節を書いた。女子力がないので結婚も出産もできていない自分が(出産は永遠に不可能な老人になっておる)、せめて誕生日をアピールしても、誰も、ただでできる「誕生日おめでとう」もいわないのが積年の恨みつらみになっているのである。

そして、とりわけ、今は誰からも顧みられなくなった自分にもわずかに存在する近しい身内が自身の結婚・出産になると私の存在を思い出して連絡してくるのにも内心は非常に驚いているということを書いた。子どもの頃からお年玉をあげてもなしのつぶての子供だったのに・・・親の住所録でもあさったのかね?と辛らつなことをいいそうになったが、そこは現実的に住所も素性も割れているので、直接はいわないできたのであった。

そうそう、女子力でしたね。女子力というものがなんで私にはないかというと、個人情報になるので、noteなんかには、そう簡単には書けないのである(別スレには書くかもですが)。しかしながら、女子力というものを異性に対して発揮しようと思えば、30秒くらいで非常に効果があることは、私も体験上知ってはいるのである。若いときは一応普通の女子力をもちたいと思っていたからだ。30秒~3分くらいはなんどか試したことがあるのだ。

しかし、私は家族の人柄に恵まれなかったのか、それとも母がいうように、私が生まれながらに頭がおかしいのか知らないが、なんらかの負の影響で、対人関係過敏症になってしまって女子力がウルトラマンのように3分間くらいしかもたない人間になってしまったのである。つまり、あるにはあるが、不自由な女子力しか持てないようになってしまったということだ。これは25歳くらいからはそうだったと記憶している。

良く知られているように、本邦では女性の地位は低い。このことの詳細について説明するのは省略するが、低いのは確かである。まあ、そういう前提でいく。「きちんと説明もできず、女子力とかなんとかいって、自分のいたらなさを反省しないからだめなんだよ」とかいってもだめなのである。残念ながら、私にとって、自分の意見を書く場所でまで他人の意見をきく用意なんてしてないからである。

「自分の意見とかいうなんて、女らしくない」とかいうひとも残念ながら、いっても無駄なのである。女子力を使ってなんとかしたいと思っていた頃の私ならば、こんなことをいったら、嫌われるかしら?はたまた、凶悪な相手でつきまとわれるかしら?と思ったかもしれない。しかし、老人となった今の私は、その基準まで失礼なひとにはしかるべき措置を取るまでのことなのである。顔も見たことないのに「ブス」とかいったら、どこに電話すればいいのかしらぁ?

とにかくであるが、「こいつは邪魔だからしかるべきところに通報してやる」と瞬時に反応して喚き散らすくらいには、私には女子力がある。通報は30秒から3分でできるのだ。やりなれているから速いのである。ああ、なるほど。結婚とか出産とかすることになれば、女子力が過酷に求められ、結果として残酷性を帯びてくるので、女子力がないとか少ない相手も人間であるとかいうことをついつい忘れて、処理さえしてしまえばよいと思うのかもしれないな。結婚や出産を控えると私の近しい身内もその過酷さゆえに、相手のことなんか忘れてしまうのであろう。まるで通報する時の私のように。とすると、この残酷性も女子力の一部なのであろう。

教養があれば、そういう日々の残酷さをメモしておき、それに内心腹を立てている可能性がある相手に、もし引き続き関係を維持したいまであれば、「お誕生日おめでとう」くらいはいう用意をするのではないだろうか。私の近しい身内は、女子力は私よりははるかに大量にあるのだが、教養が足りてないのだろう。

私には「無償の愛」など少しもないことが、教養があるので分かっているのであれば、手当をしないとどのようなことになるのか想像できたであろうに。本当に手当すべきだったのだろう。しかし、遅すぎた。私は顕微鏡で拡大しないと見えないくらいの微細な自分の女子力で、身内の女子力で「ぼよよんぼよよん」となった者たちのことを、容赦なく書いてしまうことにしたからである。

私の比喩や表現が古すぎてわからない方は、恐れ入りますが、Google先生にきいてくださいね。それでもわからないひとは国会図書館に行ってみてください。今もあればですけど・・・

ぱなせあつこ

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