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ローマの休日と、私の休日

昔観た時と、今とで感じる内容に違いがあったのと、「選択」について見解を得たのでメモっておく。これはローマの休日を皆さんがすでに履修済みであることを前提に書くので、ネタバレが嫌な人はNetflixへ。今月末で配信終了なので、この機会にオードリーヘップバーンの美貌に酔いしれてほしい。

そして今の私は、全ての物事に対して本当にネガティブな方にばかり考えてしまうので、あらかじめ内容が鬱々としてしまうことをお許しいただきたい。

鑑賞後の感じ方の変化

母と一緒に観た幼少期、学生時代一人暮らしの部屋で、そして今回と計3回ほど鑑賞している。涙が出たのは初めてだった。

昔は、登場人物みんないい人すぎてハッピーエンドのいい話だな、オードリーヘップバーン綺麗だな、髪切った後の仕草めちゃめちゃ可愛いな、ファッションマネしたいな、アイス美味しそ、あっコーン捨てちゃうんだ、ぐらいの感想しか持ち合わせていなかった。

いざ鑑賞してみると、職場から逃げ出した状態の自分と重ねてしまい、後半の決断の部分が近づくにつれて涙してしまった。(部屋に戻ってからの、料理がしたい、できるんだけどする相手がいなくて、のあたりのやりとりは涙止まらんかった。なんでこんな泣かせるん、しかもヒロイン泣いてもめちゃ美人。)

ちゃんと街中で楽しんで、そしてその日の終わりに戻る決断と行動ができる彼女は、強い。けれども、彼との未来がない、ここに自分の居場所はない、と諦めての決断だったのだろうか。なぜ彼女は、王女の立場に戻る決断ができたのか。今の私は戻れるのか。

多分、決断のできない、行動のできない自分の惨めさに涙が出たのだ。

選択肢は必ずしも二つではない

ここで話が一気に広がってしまうが、一緒に考えてみてほしい。

人生は選択の連続である。若い頃、選択する時というのはかなりポジティブな場合が多いと思っていた。自分が望んでの選択、決断であると。

しかし、四半世紀生きてきて、人生で前向きな選択ができる機会はそうそうないと分かる。そしてだいたいの場合、二択が頭に浮かび、どちらかを選ばなければならない、どちらも辛い。申し訳ないなと思いながら会社を休むか、しんどい思いをして我慢しながら続けるか。

でも、選択肢は2つではないはず。1つ増えたらどうだろうか。3つ、4つの選択肢が目の前にあったら。

逃げる、逃げない以外の「可能性」

映画のはじめ、ヒロインには「逃げ出すorしんどい状態のまま立場を全うする」、の二択しかないように見えた。

いざ立場から逃れ街中で過ごすうちに、いろんな人たちと触れ合い、会話をし、そして今までにない経験をしたことで、彼女の価値観や視野はアップデートされた。

この時彼女には2つ以外の別の選択肢、というよりも可能性が現れたのだと思う。モデルをやってみるとか(美容室のシーンは本当に可愛かった)、街中で仕事をして過ごしてみるとか、彼との未来とか。王女としての立場以外の自分の姿を何通りも想像した。逃げる・逃げないの話ではなくなり、自分の生き方や信念、自分にしかできないことを再認識できたのだと思う。それでも戻る決断をした。これはネガティブな決断などではないと思う。

選択肢=可能性は経験値を積むことで得られる

小さい頃から必死に勉強していたのも、部活をしていたのも、そもそもは自分可能性を広げるためだった。それが良い成績・悪い成績、やめるか続けるか、上手いか下手か、のような、目の前の狭い選択肢にばかり気を取られ、忘れていた。2択というのも、別に誰かに決められた選択肢でもないのに、勝手に狭くして、辛くしていたのは自分自身だった。私の頭の中が全てではないし、世界はもっと広い、私が知らないことだってたくさんある。居心地の良い場所が他にもあるかもしれない。

二択よりも、たくさんある中からこれを選んだんだ、と思えば、自身にもなるし、その後の気持ちもかわって来る。

Noteを始めたきっかけ

私が職場に戻れない原因を考えていくうちに、戻る・戻らないの二択に縛られて、選択肢を広げる経験が足りないとわかった。今の休職期間中は、別に仕事に戻ろうと行動しなくても良いし、確実に私のための時間なのだから、今までできなかったこと、諦めてたことに手をつけてみても良い。

何かしたい、始めたい、可能性やいろんな価値観を知りたいと思ったから、手段の一つとしてこの場所に書き記すことにしたのだと思う。頭の中のいろんなことをアウトプットして、そしてたくさんの人の考えをインプット、自分なりに再構築できる。今なら、時間がある。自分は本当に恵まれていると思う。

私の拙い文章、感情や思いを、下手なりに残していきたい。数日、数週間、数年後には全く違う考え方になっているかもしれない。それでも今の自分が確実に生きていること、何かを学んで感じていることを、残しておきたい。自分はちゃんと生きているし、確実にどこかに進んでいる。選択肢を自分で狭めないこと、むしろ広げていくことを、意識して生きていきたい。

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