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明るいネガティブ。

こんにちは、ぱんです。
先日、一人で念願のスーパー銭湯に行ってきました。

一人はとっても優雅で、危機感のない風呂。
ものすごく癒された…!

子供と一緒にお風呂に入ると、あちこちに危険が潜んでいるため、毎回がミッションインポッシブルなのです。
とはいえ、何故かお風呂で毎回新たな成長を見せてくれる我が家の子供達。
初めて喋ったり歌ったり、お風呂は魔法の場所?とさえ思う事も。
こんな大変だけど尊い時間も大切に私の中の宝箱にしまっておきたいです。


さて、今日はもともとネガティブな私が少し考え方を変えつつあるよって話です。




私って。


明るいね!とか、元気だね!とか見た目や話し方?からもよく言われる私。
「貴女ならどこであったとしても明るく生きていけるだろうね。」
なんて言われる事も多いです。

たしかに基本人見知りもしないし、人と喋る事が好き。大好き。スーパーの店員さん、近所のおばちゃん、基本的に誰とでも喋っちゃいます。
学生時代、スーパーのレジのアルバイトをさせてもらった時は、たくさんの人と喋れて楽しかったなー!





そんな私ですが実はネガティブで落ち込みやすく、慎重な一面もあります。
ま、誰にでもそんな一面ってありますよね。

最悪な事が起こる想定を大体していますし
でも〇〇かもしれない。〇〇だったらどうしよう。
と考えたり
ああ、こういう判断するんじゃなかった。失敗した。
と後悔もしがち。
被害妄想も、お手のものです。

親には
「石橋を叩きすぎてちょっとヒビ入ってるよ」
と言われた事もある位、よく言えば慎重。
悪く言えばビビり。

ただね、補足すると
こういうネガティブな部分が必ずしも悪いことではないと今は思ってます。
危機管理能力があったり、多方面から物事が見られるからだな、と考えるからです。


しかし私の場合は、ネガティブな部分に生きづらさを感じることがありました。

勝手に生きづらくしている自分の思考、変えたい。

その一心で自己啓発本を読んだり
様々な人の意見を見聞きして、自分の考えを手帳にまとめたり
自分なりに色々と努力はしてきたつもり。
今もその取り組みは細々と続けています。



仕方ない。という前向きな進みかた


思考の勉強していた私。まさかの夫にヒントを貰ったのです。

夫は「仕方ないじゃん。」と割とよく言います。
最初聞いた時は
正直あんまり好きなフレーズではないなと思ったし
何度も聞いてるうちにだんだん腹が立ってきて
勝手に怒ってみたりとかなりご迷惑な嫁でした。
(ご迷惑な嫁は現在進行形)

どうしても、諦めてるように聞こえていたからです。
ですが、「いやだ!私は諦めたくない!」ともがいてる時にふと

「あれ?こんな無理して諦めないって、絶対に必要な事?」と思ったのです。


粘り強く頑張り続ける事も、もちろん時と場合によっては必要と考えています。
ですが、無理をしすぎると歪みが生じる。
そこの塩梅は難しいし、答えなんてないけど


「仕方ないよね。」って
諦める≠前に進むのもアリなのかも。

なんだか急に、そう思わされました。
夫よ、ありがとう。あと、いきなり怒ってごめん。



考えを、ゆるめていくこと


また、こんな風に考える事も増えました。

例えば欲しい!!!と思った物があったとします。
でも、買いに行ったら売り切れていた。
「あーあ。欲しかったのになー。
昨日来てたら買えてたのかも。最悪〜。」
以前の私はそう考えていた。


けど最近の私は
「買えなかったって事は、今の私には必要がなかったということだし、ご縁がなかったんだなぁ」
と考えます。

こういう風に考え出して、すごく楽になった。
いろんなことに当てはめられる。物にも、事柄、予定、人物にも。

私の中では考え方を変えた、というより「考え方をゆるめた」という方がしっくりきます。



たのしく、ゆるく、生きてゆきたい


生きていれば、笑えない事にも出会う。
一定数出会わない人も居るのかもしれないけれど
ただそれは、その人の考え方が「困難」ではない、と捉えたからなのかもしれない。

若い頃はそれが分からず
「何故私ばかりこんな目に。居なくなってしまいたい」
と悩み、数年もがき苦しみました。

でもね、アラサーになれたよ。
辛い経験をしたからこそ、今分かることも増えたよ。
自分が思い描いた未来では無かったかもしれないけど、元気に生きてるよ。頑張ったね、若かりし頃の私。


まだまだ自分の思考改革(という程大袈裟なものでもないけど)は行なっていくべきだと思っています。
ですが自分の中のネガティブとはうまく付き合って行きながら
たのしく、ゆるく、生きていきたい。


では、また☺︎ byぱん




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