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『竜とそばかすの姫』考察

ずっと見たくて仕方がなかった細田守監督最新作『竜とそばかすの姫』をようやく鑑賞することができました。

結論としては、非常に感動する素敵な映画でした。歌唱シーンの圧倒的な重厚感と迫力、作画の精巧さと色彩美が際立ち、かつ作中人物のバックグラウンドや心情の対比、現代風刺など、さまざまな要素が詰め込まれていました。テンポよく物語が進められ、飽きることなく鑑賞することができ、非常に面白かったです。以下は『竜とそばかすの姫』ネタバレ有りで感想と考察を書いていきます。未鑑賞の方はネタバレに注意して下さい。


1. 母と娘

『竜とそばかすの姫』での見どころとして私が考えるポイントは、母と娘の繋がり親子の絆というものが、極めて切なく、また美しく描かれているという点です。

主人公、鈴(すず)の母親は、鈴が6歳(多分)の頃に川で事故死しています。対岸に一人取り残された見も知らぬ子供を助けるため、泣きながら引き止める鈴を置いて、豪雨で流れの早くなった川へ一人飛び込んで帰ってこなかった母。大好きな母との死別、また自分との未来よりも、赤の他人である子供の命を優先した母の行動に、鈴は酷く心を病んでしまいます。

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鈴は、母に教えてもらった、大好きな「歌を歌うこと」さえも、そのトラウマから出来なくなってしまいます。歌いたいのに歌えない、やりたいことを存分に出来ない、自分に自信のない弱気な少女、それが鈴です。中学・高校と、周りの学生が部活動や勉強等の「やりたいこと」に全力で向き合っている中、鈴だけが一人浮かない顔をして窓の外を眺めています。人生を楽しめていない、謳歌出来ていない、消化不良で空な、代わり映えのない毎日を、淡々と過ごしている様子が感じられます。

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この様子は劇中歌「歌よ」でも描かれています。

毎朝起きて探してる あなたのいない未来は  想像したくはない 嫌なの でももういない  世界がわからない 私以外うまくいってるみたい それでも明日は来るのでしょう 歌よ導いて


クライマックスでは、そんな弱気な少女が大きな成長を遂げます。仮想世界Uで、全世界の人々の目の前で、自らのアバターを脱ぎ捨てて(作中ではunvailと呼ばれる)本来の姿で歌唱するシーンがあるのです。

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鈴は、ネット荒らしであるの本来の姿、14歳の少年、恵(と彼の弟)に、ベルの正体が鈴であることを信じてもらうため、素顔を晒して歌います。竜の正体は、母がいない家庭で父親から虐待を受けている少年なのでした。ビデオ通話をする中で、兄弟が父から暴力を受けている様子を目の当たりにした鈴は、彼らを助けるために、高知県から東京まで、一人で走り出します。

走りだす鈴の背景には、どんよりとした鈍色の雲から、大粒の雨が降っています。

名も知らない少年たちのために、ネットの世界で素顔を晒し、高知から東京まで夜行バスに乗って一人きりで走りだす鈴。その背景に映る鈍色の空、大粒の雨。その様子はさながら、雨で水かさが増す激流の中、名も知らない対岸の少女を、命を投げ打ってまで助けた鈴の母を想起させます。

「力になってあげたい、助けたい」

その気持ちが鈴を突き動かしているのです。そしてそれは、あの日の母と同じ。鈴は、自分の立場になって初めて、ようやくあの日の母の気持ちを理解することが出来たのです。

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鈴と鈴の母の行動は、一概に素晴らしいとは言えないでしょう。誰かのためになら自分を犠牲にしても良い、というわけではないからです。でも、確かに鈴は、竜たち兄弟を助けるために走りました。鈴の母は、対岸の女の子を助けました。二人は、正義とかルールとか、そんな薄っぺらな建前からではなく、心から「目の前で困っている人がいたら、助ける」という、ただそれだけの気持ちで走っているのです。それは美しく切ない「自己犠牲」とも呼べるかもしれません。鈴と母はやはり親子です。離れていても、通ずるものがある。母と娘、親子の絆というものが感じられました。


2. 鈴と周りの人たち

鈴の周りには、鈴を気にかける味方がいます。

鈴がベルだと知る唯一の人物で、数学とネットにめっぽう強い親友のヒロちゃん。幼馴染で鈴をいつも心配してくれるイケメンの忍くん。学校の姫、ルックス完璧で性格も良いルカちゃん。カヌーバカのカミシン。合唱隊のおばさんたちです。

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物語終盤では、彼らは皆、鈴がベルだと知った上で、鈴のことを応援します。鈴がUで素顔を晒し歌を歌う時も、鈴が兄弟を助けるために一人で走りだす時も、みんなで鈴を見守ります。誰一人鈴の行動を止める人はいません。

この映画で賛否両論があるとすれば、この周りの人々の描き方でしょう。彼らは鈴を応援しながら、一方で何もしない「傍観者」とも思えてしまうからです。暴力の現場に女子高生が一人で踏み込んでどうにかなるのか、危険ではないのか。何故一人で行かせたのか。何故誰一人止めなかったのか。この場面は、虐待という現実問題を持ち出しているにも関わらず、それに対する主人公の行動が、あまりにも非現実なところに違和感を覚えてしまう、というのがあげられると思います。


しかし私は、この描き方でなければだめだったと思います。何故なら、1. 母と娘で書いたことの繰り返しになってしまいますが、この物語の根幹は、母の選択を、鈴が自分の立場になって追体験し、そのトラウマを脱して、一人の少女が成長することにあると思うからです。つまり、鈴は母と同じ状況に置かれる必要があるのです。

母が川に飛び込んで行く際、周りには多くの人々がいました。しかし彼らの中に、泣いている対岸の少女を助けに行こうとする人は居ませんでした。母がライフジャケットを持って飛び出した時も、誰一人止めようとする人は居ませんでした。誰もが皆「傍観者」でした。その中で唯一、泣いて引き留めたのが鈴でした。しかしそれを振り切って、母は川に入って行ったのです。

先述したように、鈴が一人で東京へ向かおうとするとき、周りの人たちは誰も鈴を止めませんでした。この物語には、たとえ非現実的であっても、主人公が「一人で」助けに行くというのが必要だったのだと考えられます。「どうして一人で行くのか」「一人で行って何ができるのか」「危険じゃないのか」という気持ちを、鈴の周りの人たち同様、私たち観客も感じたはずです。それは、鈴があの日の母に対して感じた気持ちと同じでしょう。あの日の鈴の気持ちをそれぞれに追体験させることも、監督の狙いだったのかもしれません。

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合唱のおばさまたちが、おそらく鈴の母のお友達だったというのもポイントだと思います。高知の辺境のど田舎に住む人たちですし、母は泳ぎが得意で田舎育ち感が出ていたので、おそらく地元の人だというのを考えると、合唱のおばさまたちと鈴の母は、高校、もしくはそれより前からの同級生だと考えられるのではないでしょうか。鈴よりも鈴の母をよく知る彼女たちは、人命救助のために命を投げ打った友人と、母と同じことをしようとしているその娘を見て、どんな想いを抱いたでしょう。あの親にしてこの子あり、鈴の決死の覚悟を止めることが出来たでしょうか。私は、出来ないと思います。鈴の気持ちを考えれば止めることなど出来ません。背中を押すことしか出来ないと思います。

もっと言ってしまえば、幼い娘を振り切って行くような母ですから、その遺伝子を継ぐ鈴もまた、誰が止めても振り切って行ったと思います。

3.感想

とても長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。

『竜とそばかすの姫』本当に面白かったです。母と娘の繋がりにとてもグッときたと言いますか、ボロ泣きしてしまい、この気持ちを書かなければ!と思ってつらつら綴らせて頂きました。

音楽も素晴らしかったし、映像も綺麗で、本当に素晴らしい作品だと思います。おすすめします。

ちなみに、私は細田守監督作品は昔からとても好きで、一番好きなのは『時をかける少女』です。語りたいことが山ほどあるので、いつかnoteに書こうかなとも思いはじめました…。

使用した画像は全て、スタジオ地図様のTwitterに投稿されたメディアからの引用です。




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